現代に蘇る大東亜共栄圏


HISTORISCHER WELTATLAS marixverlag(転載禁止)


総理・鳩山は稀に見る策士だ。友愛の名の下に、大日本帝国の復活を目論んでいるのかもしれない。
だが、能天気な日本の左翼は騙せても、権謀術数に秀でた中国は騙せない。


鳩山首相は中国の「古い友人」か 産経新聞 2009.9.22

この日の会談で、鳩山首相チベット問題に言及したように、首相が掲げる「友愛」の理念から、日本政府が今後、中国の少数民族政策や人権問題などに“口出しする”場面が増えることも予想され、中国政府は警戒している。
  鳩山政権が主張する「日米の対等な関係」や「日本の自立した外交」路線について中国は、東アジアにおける米国の影響力が後退し、中国の発言力の拡大につながる観点から歓迎しているが、鳩山政権が実際に実行できるかについて疑問視する見方も強い。そのため、首相が推進しようとしている「東アジア共同体構想」 について、中国は現在のところ消極的だという。


中国は、東アジア共同体を現代に蘇る大東亜共栄圏と捉えている。総理・鳩山は、宇宙人の仮面を被った大東亜共栄圏主義者なのだろうか。


しかしながら、中国共産党アメリカ民主党が陰に陽に協調している最中での大東亜共栄圏構想、即ち反米・親中路線は、現実味が無い。
思い出してほしい。第二次世界大戦中、中国とアメリカは、どれだけ大日本帝国を苦しめたか。
大東亜共栄圏を掲げ、欧米の排除とアジアの繁栄と平和と協調を願った大日本帝国に対し、中華思想(夷狄思想)によるアジア支配を目論んだ中国は、同じアジア人として大日本帝国と協力すべきところを欧米列強の走狗となり、アメリカだけではなくフランスやイギリスの協力を得ていた。


総理・鳩山の反米・親中路線は大日本帝国が目指したものと同じであり「いつか来た道」といえる。戦時中、大日本帝国大本営御用新聞と化した朝日新聞が批判をしない理由も自ずと見えてくる。


反米・親中路線の日本が生き延びるには、中国に親日・反米の政権を樹立させるしかないが、残念ながら中国共産党反日を止めることはない(出来ない)
中国共産党は表向きは日本に同調しながらも、今もって捏造によって固められた南京大虐殺記念館を次々と新設し反日教育を徹底させている。
中国共産党に限らず、中国歴代政権が日本の差し伸べる手に見向きもしない理由として、アジアに二つの大国は必要ないとの一貫した理論・中華思想があげられる。漢民族至上主義の極右国家である中国にとって、アジアの単独支配は悲願でもある。そこには、他民族との協調など端から無い。中華思想圏外にいる欧米は別として“ましてや”長年、夷狄として蔑んできた日本、日清戦争支那事変と常に中華思想に対し反旗を翻してきた日本との協調など有り得る筈もない。
更には、弱腰の日本は謝罪の名の下に資金援助をしてくれる金づるでもあり、苛めても反抗しない国家であり、日々強権によって抑えられている中国人民の鬱憤を晴らさせる相手として好都合との理由もある。
中国共産党による独裁を維持するには、最も怒らない相手、リスクの少ない相手である仮想敵国の日本無しには成り立たない。


支那事変では、大東亜共栄圏構想に協力した汪兆銘親日国家・南京政府があったが、今はどうだろうか。台湾は支那事変における南京政府に相当していたのかもしれないが、反日・親中の大陸系帰化人である馬が総統になった事により、台湾は親日南京政府ではなく反日の国民党政府に逆戻りしてしまった。
親日国家であった台湾を擁護せず、滅ぼしてしまった日本は今後、支那事変における国共合作(中国の国民党と共産党が一致団結して日本軍に立ち向かった)のように、中国・台湾を相手にしなければならなくなる。
親日漢民族国家を失った今の日本は、支那事変の時よりも不利な状況と言わざるを得ない。


歴史を通じ一貫して漢民族至上主義が蔓延る中国では、左翼政権が全土を支配した過去はない。対照的に、日本は歴史を通じ一貫して博愛主義の左翼国家である。
戦前の大日本帝国を極右国家と捉えてしまい、中国共産党を左翼政権と捉えてしまうと、本質が分からなくなる。
大日本帝国は実際は、象徴天皇制社会主義共和国であり、中華人民共和国漢民族至上軍事独裁政権に過ぎない。


大日本帝国の掲げた大東亜共栄圏が多くの人々に支持されたのは、極右的な民族主義ではなく、民族を越えた国家社会主義(国家主導の社会主義)だったからであり、結果として多くの左翼や朝鮮・中国の人々が協力したからだが、今の日本人には大日本帝国=右翼・民族主義で思考停止している為か理解できていない。
戦前、左翼系の労働組織であった友愛会日本労働組合評議会となり、大東亜共栄圏構想と大東亜戦争に協力したのも不思議な事ではない。
高畠素之や下中弥三郎などの多くの左翼活動家は、大日本帝国が推し進める国家社会主義を支持していた。
左翼活動家は大日本帝国下で弾圧されていたところか、大いに協力していた。抑圧されていたのは共産主義者だけだったが、それは連合国側である米英でも同じだった。
北一輝石原莞爾に関しても今では右翼主義者呼ばわりされているが、左翼的な大東亜共栄圏主義者だった。満州国が掲げたスローガンである五族協和からも理解できるが、彼らはアジア民族の共存と救済を本気で考えていた。


大日本帝国時代における朝鮮・台湾・満州に対する莫大な投資も、大東亜共栄圏構想より前に生まれた大アジア主義からだった。
当時の多くの日本人は「朝鮮半島が内地よりも優遇されている」「本土の富が朝鮮半島に奪われている」と思っていたが、現実もその通りだった。


大東亜共栄圏で誰が一番得をしたかといえば、朝鮮民族に他ならない。
大日本帝国下で朝鮮民族は一等国民となり、朝鮮半島は大発展し人口も増大し、更には満州樺太・シベリアへと大日本帝国の拡大と共に朝鮮人移民は拡散して行った。戦争中もアメリカの空爆目標にはならず、朝鮮戦争で壊滅的ダメージを受けるまでアジアで唯一、戦争被害の無い地帯だった。
鳩山・民主党の意図するところは明白だ。彼らは名を変えた大東亜共栄圏を再び実現させ、朝鮮半島の救済と更なる発展を目論んでいる。更には朝鮮半島の救済を足がかりに、中国にまで大東亜共栄圏を築こうとしているのだろう。


では何故、朝鮮民族大日本帝国下で優遇されたのかと問われれば、当時のアジアで一番貧しかったからだ。ソビエトの脅威が常にあった日本にとって、朝鮮には是が非でも力を有してほしかった。


朝鮮総督府に見る「日帝」の功績

まず第一に知って頂きたい事は、日本は朝鮮半島を「搾取」したどころか、反対に日本本国から莫大な資金を朝鮮半島に投資したと言う事実です。「日韓併合」以来、年に一千数百万円から二千万円(当時の金額)もの一般経費補充金が、朝鮮総督府特別会計に補填され、その財政運営を支え続けたのですが、これらの資金はコリア人から搾取したものではなく、日本の国家予算(とどのつまりが、日本国民から徴収した「血税」)や、日本の金融市場で調達した公債だったのです。当時、帝国主義の時代、世界中のどの植民地政策を見ても、植民地(厳密に言うと、朝鮮半島は日本の植民地ではないが)に対して本国政府が莫大な資金を投資した例は希有でした。多くは、本国政府が植民地から利益を吸い上げていた訳で、日本の植民地政策の「特異性」とも言えます。つまり、コリア人が言う所の「搾取」は、「真っ赤な嘘」だった訳です。


第二に、朝鮮半島のインフラを整備したのは、朝鮮総督府だったと言う事実です。戦後、韓国は「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる国家の復興と高度経済成長を自慢しますが、その多くは、「日帝時代」に整備されたものなのです。朝鮮半島全土に張り巡らされた道路網・鉄道網・港湾施設等の交通インフラは、朝鮮総督府時代に、日本から投資した資金を元手にして建設整備されたのです。そして、その多くが現在でも利用されているのです。(以前、「漢江の奇跡」時代に突貫工事で建設された橋が自動車の重みで落下した事故があったが、それ以前 ── 「日帝時代」に建設された橋は今尚、現役で活用されている) この交通インフラの整備によって、「陸の孤島」同然だった町や村が接続され、人や物資の往来が活発となり、その結果、朝鮮半島の近代化が加速したのです。又、鉄道網や都市整備が進むと、必然的に電力の確保が必要となります。そこで、炭鉱・砂防・治水・電力・通信網(電信電話施設)の開発整備をも進んだのです。


第三に、食料の自給体制を確立したのは、朝鮮総督府だったと言う事実です。朝鮮半島李朝末期、山は至る所、「禿げ山」。天候不順・農法の稚拙さ(粗放農業)と、両班等による度重なる過酷な搾取によって農民達は労働意欲を無くし、農地の荒廃が進んだのです。元々、粗放農業で収穫率が低かった(「天水田」で、三年一作)所へ持ってきて、農地の荒廃が進んだので、朝鮮半島は現在の北朝鮮同様の、慢性的な食糧不足 ── 飢餓状態に陥っていたのです。そこで、朝鮮総督府は、治山・治水工事を筆頭に、荒れ地の開墾・干拓・灌漑用水の整備と農業インフラの整備をし、更に、粗放農業から集約農法へと転換させ、冬季等の農業閑散期には在宅副業等を奨励し、農民の意識と生活水準の向上を図ったのです。その結果、慢性的な食糧不足に苦しんでいた朝鮮半島は米の増産に成功し、遂には内地(日本本土)へ「輸出」する迄になったのです。


民主政治活動費:4議員 08年も韓国クラブなどへ支出 毎日新聞 2009年10月1日


流石は、朝鮮半島の利権を優先する党なだけある。


民主党の構成は旧社会党員で大勢を占めている。旧社会党共産主義よりも大日本帝国国家社会主義に近い。朝鮮系や朝鮮シンパの多い現政権は、日韓併合時代の日本政府さながらだ。
それだけではなく、幾つかの共通点は昔も今もなんら変わりがない。
現在は勿論だが、大日本帝国時代も天皇陛下に実質的な権限は無かった。更には大日本帝国時代は軍部首脳陣が権限を握り国家社会主義に走ったが、自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣であり、権力構造は同じといえる。
故に、国家社会主義であった大日本帝国民主党の歩みが同一なのも理解できる。


我々日本人は、彼らの計画を見過ごしてはならない。同じ失敗を繰り返してはならない。
過去の日本は、朝鮮に多くを与えたが、朝鮮は日本に一体、何を与えたのだろうか。恩を仇で返してはいないだろうか。
嘗て、福沢諭吉は脱亜論によってアジアからの離脱を説いた。日本は大東亜共栄圏の失敗によって福沢諭吉の正しさを理解しなかったのだろうか。


GHQによる洗脳教育により、何故に日本が負けたのかも、何の為に日本が戦ったのかも分からなくなった現代日本人には、理解できないのだろうか。


大東亜共栄圏によって、日本は朝鮮半島を最優先として満州や台湾等のアジア各地へ莫大な援助をしてしまい、広大な防衛圏を生んでしまった。大東亜共栄圏は要約するならば「虐げられているアジアを助け欧米列強を排除する」との主義であり、欧米列強の植民地主義とは全く違っていた。しかし、弱肉強食の世界で、博愛主義が生き残る術は無かった。
日本の敗北、日本が戦った理由は、大東亜共栄圏にある。


総理・鳩山自身は自身のホームページで、東アジア共同体大東亜共栄圏と同じだと思われるのではないかと危惧しているが、歴史を正しく理解している人間からすれば、東アジア共同体大東亜共栄圏となんら変わりがないとの結論しか出てこない。


鳩山由紀夫ホームページ

(抜粋)
ただ、現在のような日本の環境の下で、アジアの共同体思想というようなことを唱えますと、また、いつか来た道ではないかとか、古い言葉でありますけれど も、大東亜共栄圏をまた日本は目指しているのではないかとか、日本の覇権主義が復活したのではないかというふうに錯覚されないとは限らない。従ってそのた めには何を解決していかなくてはならないかということになると、やはり過去の歴史を21世紀を目前に控えて、しっかりと清算することではないかと感じてお ります。後ほどこの問題に関してはやや詳しく触れてみたいと思っております。
(中略)
北朝鮮との問題も韓国の努力とがより報われるということが現実的になる可能性があるというふうに思っておりまして、韓国を朝鮮半島問題においてサポートす ることがより一層求められる時代ではないかと申し上げたいと思います。そしてそれを通じて、アジアの平和に向けての私の夢であります、アジアにおける共同 体思想というようなものをより正しくお伝えをするときも来るのではないかと考えていきたいと思っております。


総理・鳩山は、祖父の夢を受け継いでいる。
彼の信念となっている“友愛”は、祖父・鳩山一郎が戦後になって使い始めた信念でもある。日本友愛青年協会の初代会長は、祖父・一郎だった。


戦後、祖父・一郎は軍国主義者として、GHQにより一時公職追放された経緯がある。戦前の文相時代、反国家思想であった東京帝国大学の滝川教授を強制免職処分させた経緯もある。彼は更に、著書でヒトラーを賞賛していた。祖父・一郎は、大日本帝国の中枢として活躍し大東亜共栄圏構想に加担していた。
祖父の信念を受け継ぐ総理・鳩山が、祖父の意志に反しているとは思えない。


東アジア共同体によって朝鮮半島の利益を優先する総理・鳩山は、朝鮮半島の発展に貢献した大東亜共栄圏主義者と勘ぐられるのは仕方がないが、それ故に中国共産党が警戒するのも理解できる。
中国共産党は総理・鳩山の提案する東アジア共同体によって中国に親日政権が誕生することを恐れている。即ち、中国共産党が滅びることを何よりも恐れている。


鳩山・民主党政権は、今現在も大東亜共栄圏を信仰している在日朝鮮系右翼の人々にとっては願ったり叶ったりの存在かもしれないが、日本人や中国共産党アメリカにとっては危険な存在にしか過ぎない。


鳩山・民主党政権がこのままの路線で行けば、嘗ての大日本帝国のように滅びるだけだ。
では、鳩山・民主党政権が生き残る術は何だろうか。
自衛軍への改称を提案し、在日米軍再編を掲げ、米国の市場原理主義を批判し、新憲法の制定(総理・鳩山は2004年に新憲法を試案しており、その中で既存の憲法第九条二項を最も欺瞞的な部分として批判し、自衛軍保持を表明し集団的自衛権の行使も容認すべきだとしている)を目論んでいる鳩山・民主党は今更、自民党のように親米に戻ることは出来ないだろう。
故に、選択肢は限られてくる。
中国共産党に反旗を翻し、中国に親日国家を樹立させるか。もしくは、東アジア共同体構想を捨て、中国共産党反日を温存させるか。
小沢氏と総理・鳩山の確執も、表面化するのかもしれない。
今まさに、望むと望まざるに限らず熾烈な戦いが始まろうとしている。


アジア主義

それはアジア主義の歴史を紐解かなければならない。アジア主義者の頭山満らが、孫文を支援したように、内田は李容九を支援したのである。李容九もまたアジア主義者であり、孫文と思想を同じくしていた。李は、樽井藤吉の『大東合邦論』の影響を受け、「東洋諸国は力を一つにし、西力に対抗すべきアジア連邦を結成すべし」と考えていたのである。


内田と李の関係は、東学党の乱から始まる。そして李と一進会の頑張りにより、一進会以外は保守一色であった韓国世論に、大アジア主義の理想が垣間見られるようになった。内田と黒龍会の奔走により、当初「日韓一家」の理念が全くなかった統監府で、大アジア主義を根幹とした「日韓合邦」が具体論として話されるようになった。


しかし安重根伊藤博文を暗殺したことによって、李が「韓国を滅ぼすものは天なり」と絶句したように、大アジア主義の理想は潰えることになる。李容九の一進会内田良平黒龍会が掲げた「合邦」は「併合」へとすり替えられ、京城の統監府は植民地に置くべき総督府へと改められることとなったのだ。安重根の一発が、日本政府、軍部の報復的強制併合を引き起こし、大アジア主義の理想は吹き飛んでしまったのである。


だが大アジア主義そのものは、形を変えて残っていく。内田と李の理想は、「アジア連邦結成の第一歩として日韓両国を合邦せしめ、根本的な内政改革を断行すると同時に、李容九が自ら一進会員五十万乃至百万を率いて満州に移住し、一般官民からも参加者を求めて殖産衣食の道を与え、早晩起こるであろう中国革命の機に乗じて満州独立の旗をひるがえし、日韓満蒙の連盟国家を建設し、ヨーロッパ、とりわけロシアのアジア侵略に対抗し、東洋平和の根幹をなそう」というものであったからだ。これが、後の「五族協和」であり「大東亜共栄圏」であるのは、言うまでもないだろう。


当日記内:右翼団体の実態