[政治]戦争の罪と罰

戦後60年、日本人もやっと素直に米国による広島長崎原爆投下に対し過ちは過ちであると言える様な時代になった。これから先、例え現代が勝者の歴史で塗り固められていようとも、祖父の冤罪、祖母の災厄を訴えることに如何ほどの躊躇があろうか。
我が祖父は、終戦三日前に玉砕し、我が祖母は戦争の因果により三回再婚した。一度目は早婚であったが、相手は第一次世界大戦後の世界恐慌で事業が崩壊し、その煽りを受け心身を病んで病死。二度目の相手は第二次世界大戦時に米軍による空爆で爆死、最後の結婚相手は玉砕死。戦後は、父の兄弟は全て養子に出され、祖母も再婚せず私の父と二人だけで生き抜いていった。巡り合わせの運命と片付けるのは簡単であろうが、時代にも翻弄された。
祖母は私が言うのも何だが、裕福な家庭で育った。祖母の実家は製紙業界で今も事業を営んでおり、銀行も手がけていた。だが、第一次世界大戦の引き金となった暗黒の木曜日に起因する世界大恐慌で祖母の実家の銀行は倒産し、かろうじて製紙業だけは生き残った。我が実の祖父は当時、モボと持てはやされ東京の名の有る名家の出身であった。祖母と結婚した当時、祖父は大丸百貨店を退職し、東京で喫茶店事業を拡大していた。そんな矢先、祖母との縁談が生まれ風雲の時代に二人は結婚した。私の父はそんな中、彼と彼女の唯一の子として生まれた(異母違いや異父の兄弟は多いが)。だが、悲しむべきか、祖父は我が父の顔を見る事なく、戦死した。(アニメ映画『蛍の墓』はその様な所縁で他人事とは思えなく拝見した。)
無論、祖父であれば赤紙を断わる事も出来たであろう。だが、彼は違った。当時、彼は戦況も芳しくなく生きる望みも少なかったフィリッピンの戦地に赴いた。彼には今の事業を投げ売ってでも国を家族を守ろうという信念があったのだ。果たして今の実業家に祖父ほどの信念が有るのだろうか。祖父はこれにより財産を失い、守るべき家族に会う願いさえも成就しなかった。私が今の私利私欲に走る実業家よりも国のため、まだ見ぬ家族の為に死んだ祖父を尊敬するのは何故か?確かに生き残って家族を守るという点では我が祖父よりも今の実業家の方が数段優れている。しかし、尊敬するとの評価では如何だろうか?
私は信念を失ってまで生き残る金の亡者よりも、我が祖父を尊敬する。これは、常識的な人間であれば、当然の答えでもあろう。だが今は、この常識的な答えを出せない人間が権力を握っている。日本の危惧はそこに有る。

東京都内で開催されていた「ノーモア ヒロシマナガサキ国際市民会議」は31日、「被爆60周年市民集会」を開き、閉幕した。集会では広島、長崎に原爆を投下した米国に謝罪を求める声も出た。

 集会の冒頭、伊藤一長長崎市長が「5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議は道筋が見えないまま終わったが、わたしたちはめげずに地球上から核がなくなるまで頑張る。非核三原則の法制化を求めていきたい」とあいさつした。

 続くパネルディスカッションでは「広島、長崎への原爆投下は人類史上最悪の犯罪だった。被爆者の苦しみは次の世代まで続く可能性がある。いまだに犯罪として裁かれていない原爆投下について、米国に謝罪させる必要がある」(小西悟・日本原水爆被害者団体協議会事務局次長)などの意見が出た。
A0L二ュース 7月31日