誇るべき和の思想

今の日本人の根幹は大陸から落ち延びた『負け組』なのかもしれない。
無論、この『負け組』との表現を恥じる必要は全く無い。中韓の歴史の残虐性を知っている方であれば納得されるだろうが、嘗ての織田信長でさえも驚愕する残虐性を過去の中韓は有していた。


日本人との一番の違いは、中韓の人々の生命に対する尊厳の捉え方か。中韓の人々にとって祖先は自己の系統を正当化させるだけの道具に過ぎず、死体は肉塊にしか過ぎない。そこには、日本人の祖先を敬い、敵の死体をも厚く葬る思想とは明らかな開きがある。そういった残虐性、弱肉強食の世界に適合出来なかった人々が、今の日本人の根幹を成しているのかもしれない。

今までの世界は、これら中韓に代表される弱肉強食の世界だった。だが、これからは、日本の和に代表される平和的共栄共存の世界が必要とされるだろう。それを『負け組』による慰め合いと思われてるのも結構だが、強者による弱い者虐めの世界よりはよほど良い世界に思える。
中韓との不和は、日本人が持つポテンシャルに対する誤解から生まれている。
彼らは今の日本人(昔の日本人も同じくだが)が、いくら平和主義者だと自称しても、日本人も自分たちと同じ思想の持ち主なのだろうから覇権主義と残虐性を有していると勘ぐる。こういった発想は、日本は辺境でも中華思想の一員との彼等の希望的観測に由来する。


嘗て、関東大震災の時、一部の在日朝鮮人が国家転覆の策略を企んだ時も、日本の警察は情勢を察知し、在日朝鮮人を保護した。
記憶も新しい阪神大震災では壊滅状態にも関わらず、日本人が暴徒化しない事に各国の人々は驚きを隠せなかった(一部の自虐的日本人は、少なからず有ったのではないかと言うが、これも南京大虐殺捏造と同じに思える。日本人以外の人々の多い地域では有るが、法治国家でも在り、多くの報道機関が居た状況で一部なりとも情報を掴めない事は有り得ない)。
以下のアメリカにおける惨状と比べるにあたり、日本人の和の心が如何に貴重で誇るべき思想かが分かる。
天災よりも人災を憂う状況は、断固として改善しなければならない。



ニューオーリンズ近郊=岡田敏一】米国史上最大ともいわれる大型ハリケーンカトリーナ」で甚大な被害を受けたルイジアナ州ニューオーリンズ市に向かう幹線道路沿いには、雨の中、傘を差して救助を待つ群衆が延々と続いていた。市内は武装ギャングによって無秩序化し、「絶対に行くな」と制止された。
 二日、テキサス州ヒューストンから車でフリーウエーを使い、約五百六十キロ東のニューオーリンズに向かった。途中、ルイジアナ州の要所、ラファイエットでガソリンを補給したが、ニューオーリンズと同じ州にもかかわらず、「カトリーナ」の被害はほとんど見られなかった。
 しかし、さらに東の州都バトンルージュからは、様相が一変。看板が折れ、外壁が半分ほど崩れたホテルや倒壊した家屋、根元から倒れる大木など、被災の生々しい痕跡が目に飛び込んでくる。雨も降り始める。後方にはたくさんのペットボトルを積んだトラック。反対車線からは、避難民を乗せた大型バスがパトカーに先導され、数珠つなぎでこちらに向かってくる。
 長い行列を待って、ようやく補給したガソリンは、ラファイエットより一ガロン(約三・八リットル)が三十セントも高い二ドル九十セント(約三百二十円)に。
 次にたどり着いたのは、ニューオーリンズ中心部から西約二十キロの近郊の町、メタリー。半壊したホテルの玄関に中年男性が二人。「(被災者が集まる)スーパードームには行きたくない。治安が悪いから」
 さらに、車で進むと荒地に数百人の被災者が救助を待っている。周辺では軍隊のヘリコプターが飛び交っていた。
 ニューオーリンズの中心部まであと約二十四キロ。車で向かおうとしたが、そばにいた男性たちに制止された。「絶対に行くな。まだひざくらいの高さまで冠水しているし、死体もたくさん浮いている。強盗やレイプも多発しているぞ」
 ニューオーリンズ行きはやむなく断念した。
 現地メディアや避難してきた人の話では、ニューオーリンズ市内は武装ギャングが横行し、無秩序化している。ホテルのテレビは「生きるために、盗まなきゃならないんだよ!」と叫びながら略奪と破壊を続ける少年の姿を映し出した。
 さらに市街地で州兵たちが自動小銃を構えて不審な住宅のドアをけ破り、一軒一軒捜索。バグダッドでの掃討作戦と見まがうかのような光景をテレビが繰り返し流しており、まさに米国が戦場と化したようだった。
産経新聞)- 9月3日