ドイツ人の牧歌的一日

mensch2006-07-26


一般的なドイツ人は毎日どの様な暮らしをしているのか。今日は、貧しくもなく、かといって格別豊かでもないとある西ドイツ人男性の一日を覗いてみたい。日本の様に何も無いからこそストレスも少ない。刺激を求める若者でさえ遊びといえば買い物かクラブ(ディスコかスポーツジム)か、たまの外食位しかない。
刺激を知り尽くしている日本人には、ドイツ人の生活はどのように映るのだろうか。


舞台はハノーファーから程近いブラウンシュバイク市・朝5時半。
彼の起床はいつも決まった時間だ。42歳になる同い年の妻と5歳になる一人娘はまだ寝ている。遅く生まれた子供に思えるが、晩婚化が進んでいるドイツでは極平均的な家庭といえる。彼は眠気を振り払いながらコーンフレーク入りミルクを食べ、まだ動きの遅い口にコーヒーを流し込んだ。
ドイツの夏は日が長い。コーヒーを片手に窓から眺める日は既に燦燦と照っている。
「いつもながら、妻と娘は暢気なものだ・・・」
まだ寝ている妻子を横目に、彼は夏にしか会えない朝の太陽に哀れみを貰いたいかの如く呟いた。


朝6時、いつもと同じ時間に家を出る。彼の家は5階建てアパートの最上階。ドイツではベルリンやフランクフルト等の都会を除き、5階ともなると見晴らしは日本とは比較にならない程に開ける。だが、彼の家はそんな特典を相殺するかのようにエレベータが無い。ドイツでは6階建てでもエレベータが無い事が多いので、彼はまだ恵まれている方だ。
「これも健康の一環か・・・」
最近はスポーツといえばサッカー観戦位しか縁がない彼はそう自分に言い聞かせながら階段を駆け下りる。
この居城に彼は幼いときから住んでいるが、如何せん年齢とビールの摂取量に比例するように増えた体重の為か最近は昇りも降り苦労が伴ってきた。
「俺の不満は贅沢というものか」
この家は両親から資産として受け継いだものだ。バルコニーもあり、4部屋とキッチンルームとバスルームで90平米あるが、彼の両親が二人だけで住むには少し広すぎた。
両親は現在、ブラウンシュバイク郊外の集合住宅の一角にある持ち家に住んでいる。そこは、結婚前まで、彼が一人で住んでいた家だ。3部屋とキッチンルームとバスルームで70平米の広さだから、二人でも充分な広さのようだ。
ドイツの家は何年たっても価値が余り下がらず資産として持つものが多い。故に親が数多く所有する家を子供達に分け与える事が多々有る。ドイツ人の核家族化は一見、子供が自立している様にも見えるが、その実、親の援助無くしては成しえない。
「まぁ、お陰で俺も気軽に転職を何回も出来た訳だが・・・」
親が貧しい友人や、資産が無い友人の大変さを思い起こしている内に、気が付いたら一階玄関の扉を開いていた。


彼は早足で家の前に路上駐車してある愛車に乗り込んだ。愛車はフォルクスワーゲン。モデルは7年前に転職と同時に奮発し親から少し援助して貰って購入したパサート・バリアント(ワゴン)。当時の彼の収入ではゴルフが精一杯だったが、新しい勤め先の親会社の車との事もあり、無理をして購入した。走行距離はこの前、やっと10万キロを越えた。彼は多くのドイツ人と同じように出来ることなら20万キロは走らせたいと思っている。
タバコを一服し、使い込んだギアを一速に入れた。
「今日も暑くなりそうだ・・・」
彼の車にはエアコンが無い。彼は窓を全開にしてアウトバーンに向かった。


仕事先は隣接都市のヴォルフスブルク市、フォルクスワーゲン子会社のとある下請け工場。
毎朝7時までには会社の扉が開く。片道30分の距離を途中ガソリンスタンドに寄り、いつもと同じラジオ局番を聞きながら会社に向かう。


6時40分、もう会社の駐車場は車で一杯だった。
「待ちに待った金曜日だ。今日は早く帰るぞ。」
彼の気持ちは始業前に既に週末に入っていた。
午前の15分小休憩。皆一斉に喫煙ルームに移りタバコを吸い始めた。彼は会社に持ち込んだポットから大好物のコーヒーを注いでいる。そして、ミルクと砂糖を目いっぱい入れてかき混ぜた。この飲み方は家では妻に太る飲み方だと止められており、妻の目を盗んでの自分好みのコーヒーの味は格別な様にみえる。


昼12時、一時間の休憩時間。彼はチーズを挟んだ黒パンが入ったケースと買い溜めしてある1.5リットルのコーラーボトルをロッカーから持ち出した。昼飯がパンとチーズだけとは質素に思えるが、食に拘りを持たないドイツ人の中では格別質素なわけでもない。
カンティーネ(社員食堂)は従業員達の取り留めのない話で賑わっている。彼はといえば、同僚に一ヶ月間のウアラウブ(長期休暇)でスペインへ行くと自慢げに話している。随分と贅沢に思えるが、親が所有しているキャンピングカーを借り、自分の車で牽引してスペインのキャンプ地に泊まるだけだから、それほど金はかからない。だが彼の気がかりは車の燃料代高騰だ。
「全く何で、こうも値上がりするのだろうか・・・」
それでも彼は世間体の為に、家族の為にスペインに行かなければならない。これは最早、強制的な休暇ともいえる。


食事を終えコーヒーを飲み終えると、足早に禁煙になっている社員食堂を後にした。残りの時間は、敷地内の木陰で同僚と一服するのが夏の彼の過ごし方だ。タバコ以外にもやめられない嗜好品が沢山有る。コーヒー・コーラー・酒・・・。彼の意志には、喫煙率が一向に減少しないドイツの国内事情も反映しているようだ。
彼はタバコを燻らせながら周りをぼんやりと眺めている。他の者はトランプに講じていたり、タブロイド新聞を読んだり昼寝をしたりと他愛も無いことをしているようだ。いずれにしても皆、短い夏を楽しんでいる。


夕方16時、就業時間。15時を過ぎた頃から皆そわそわしていたと思っていたら、16時になったと同時に、一斉に帰りだした。彼も同じく早く帰りたいところだが、妻の手前もあり、ロッカールームで作業服から私服に着替え直して帰ることにしている。
金曜日の夕方は特に早く帰らなければならない。妻と子供がいつもより増して待ちかねているからだ。残業でもしたら、17時を過ぎると同時に妻から携帯に何時に帰ってくるのかとの電話がかかってくる。
察しの通り妻は働いていない。妻はいつも不摂生な夫への無言の提言が如く昼間はフィットネスクラブのヨガコースに通っているが、金曜は家で過ごしている。家計は決して楽とは言えないが持ち家でもあるし、妻が働いたところで彼女の収入は独身者よりも高い税金が掛かってくるからだ。これはドイツにおける高い独身率の一因にもなっている。その為か同棲して子供がいても独身とのパターンがドイツには多い。


17時少し前に自宅の前に着いたが、最後の一仕事が駐車場所探し。ブラウンシュバイクの市内ともなると路上駐車をする場所を確保するのが一苦労だ。場合によっては数百メートル離れた場所に止めなければならない時もある。だが、今日は帰りが遅くないので結構空きがあるようだ。毎度の事ながら、ガレージ付のアパートを羨みながら愛車を止めた。


「パパー、お帰りー!」
家に帰ると娘が真っ先に寄ってきた。彼は娘に囁いた。
「さて、今日は何の絵本を読もうか。」
家族サービスは最早、所帯を持つドイツ人男性にとって定めに近いものがある。


18時、毎週金曜日の夕食は彼が作る事になっている。といっても大したものは作れない。彼が作れるものは、パスタ程度しかないからだ。
「さてと・・・今日はボロネーゼにするか」
彼は棚からボロネーゼの缶詰とパスタを取り出し、ドイツで言うところのお手製料理を作り始めた。


彼の食事を待ち侘びていたのか、娘と妻は美味しそうに食べている。今週の夕食はずっと、冷凍食品のジャガイモかフライドポテトとハンバーグかソーセージだけだったから、美味しさも一入なのだろう。
食べ終わった後、彼は満杯で今にも悲鳴をあげそうな食器洗い機に食器を押し込んだ。明日の午前中は食器洗い機も洗濯機も一週間動かなかった分、フル稼働だ。


今日は地元サッカーチーム・アイントラハトブラウンシュヴァイクの試合も無いので、彼は早々にシャワーを浴びた。この家にはバスタブがあるが、水道代の高いドイツとの理由と風呂に入る習慣が少ない家庭で育ったとの理由の為か彼もまたシャワーで充分だと思う典型的ドイツ人の一人だ。


夏のノンビリとした太陽が暮れ始めるころ、彼は寝室で妻と何を話すでもなくテレビを眺めている。
「明日は午前中に買い物を済まして、その後は近くの森林公園にサイクリングだったな。そう言えばここ数ヶ月、外食といえばマクドナルドだけだったよなぁ。明日は奮発してレストランでも行こうか・・・。」
外食をあまりしない彼の家族にとって、レストランでの食事はとっておきのイベントだ。家族サービスに余念のないドイツ人は週末をずっと家族と一緒に過ごす。彼は缶ビールを2杯飲み干したところで、眠りに就いた。