幻想の中国(日独の報道差異)

Proteste bei Olympischem



長野聖火リレーは大失敗に終わった。今までの無知さ加減を棚に上げ、手のひらを返し反中になる一般日本人には辟易するが、中国人の自己中心的愛国心を知らしめた意味では良かったのかもしれない。


チベット大虐殺に対する予想以上の抗議活動により、在台湾チベット人も含め逮捕者が6人も出たが、乱暴狼藉を働いた中国人達からは何故か0人。彼らが暴行を働いても、沿道で巨大中国国旗のみを靡かせ奇声を上げながら人手を掻き分け走り、花壇の花を踏み潰してもお咎め無し。どうやら中国人には治外法権が有るようだ。
ゴール会場はチベット国旗を持った人々が入れず、中国国旗一色となったが、映画『靖国YASUKUNI』上映自粛を批判するのであれば、自主的ではない行政からの言論弾圧を糾弾すべきではないだろうか。
当地中国における言論弾圧は更に酷い。聖火リレーを成功と表現し、チベット国旗も一切映し出されない。
オリンピックを政治に利用してはならない。だが一番、政治的に利用しているのは当の中国ではないだろうか。


日本の行政だけではなく、日本の報道も中国崇拝が激しいが、この期に及んでも、チベット支持団体と中国人留学生団体との小競り合いを、右翼団体と中国留学生との小競り合いと表現したり、中国人からチベット人や日本人に殴りこみをかけても大きく報道されないあたりは工作を感じずにはいられないが、チベットと同じく中国に侵略され、今も弾圧虐殺浄化が続いているウイグル(東トルキスタン)国旗も出ての抗議活動は、中国の真の姿を知らない多くの日本人を覚醒させるに十分な効果があった。


ドイツの報道は、日本と対照的に反中一色となっている。日本での反中抗議活動を大々的に取り扱い、チベット人チベット支持者、中国人留学生団体と表現し、小競り合いやチベット支持者の反中抗議デモも報道している。
善光寺のボイコットもチベット弾圧への抗議の為と表現し、聖火リレー中の抗議乱入者もチベット活動家と表現している。


Proteste bei Olympischem Fackellauf in Japan


Drei Festnahmen bei Olympischem Fackellauf in Japan


ドイツと対照的な日本の報道を鑑みるにあたり、日本人の中国観が今もって幻想ばかりとの現実も否定できない。
チベット鉄道開通の真意が、観光や利便化が目当てではなく、チベットへの漢民族殖民促進と非常時における武器弾薬兵士輸送の為との事が、日本の報道では見えない。


日本人の中国桃源郷視には色々な要因が考えられるが、第一には歴史認識の誤りが挙げられる。中朝韓による日本絶対悪は無知な日本人を騙すだけの影響力がある。また、様々な文化的影響を与えた中国に対する敬意が妄信に繋がっている場合もある。更には、中国利権に浸かっている日本企業や政治家による影響もある。
その中でも、一般日本人に対する影響力を考えるにあたり、中国利権と関わりの深い親中マスコミの力は絶大に思える。


日本のマスコミは過剰な配慮からか、海外を美化する事が多い。対照的にドイツを含めた多くの国々は他国を美化する事はなく、卑下することも多い。


日本のTV番組ばかり見ていると、中国の暗部が見えない。彼らが報道したい中国とは、昔ながらの伝統と美、人の優しさ、日本に似た情緒、経済発展、だろうか。
ドイツ番組から受ける中国の印象は、日本の番組とは異なる。伝統文化、雑踏、不衛生、利己的で喧騒好きな人々、街中の自転車群や人ごみ、共産党独裁、経済発展。
日本の番組と一致する点は伝統文化と経済発展くらいか。


ドイツの番組からステレオタイプな印象を受ける国は多い。アラブは砂漠とドバイの高層ビル群、アフリカはサバンナと野生動物、タイは喧騒と屋台とビーチ。アメリカは自由と現代文化と人種の坩堝。これらは日本と同じだが、ドイツにおいてのイタリア観は日本と違い面白い。縦横無尽に行きかう原付自転車群や街中の喧騒、窓から吊り下げられる洗濯物群、寂れた路地裏に座り談笑する女性たち。対照的にドイツは北欧を過剰に美化する。

日本がイメージするイタリアはどうだろうか。オペラ、フェラーリローマ帝国ルネサンス。上品なイメージしかない。
東欧に対してもドイツ人は偏ったイメージを持っている。彼らのイメージする東欧とは、暗澹、貧乏、田舎、後進。日本が東欧に対しクラシック音楽や伝統を重点的に扱う現状とは大きな差がある。


日本に対するドイツ番組によるイメージは中国よりは良いが、偏っている。彼らの提供するイメージとは、第一に伝統。質実剛健で日本と相通ずるドイツは武術に興味があるようで、柔道剣道は元より弓道も報道する。芸者というお決まりのものから、日本庭園や鯉や盆栽や茶道などの侘びや寂が齎す静寂の素晴らしさを詳しく紹介している。日本のマスコミがヤクザを事件絡みでしか取り扱わないのとは対照的に、ドイツの番組は普段の彼らも臆面なく紹介する。例えば、映画撮影にあたりヤクザの許可が必要との経緯や、秩序維持の為に働いている等々の理由を述べた彼らとのインタビューも報道する。
第二に東京の喧騒と過密人口か。渋谷のスクランブル交差点や満員電車は頻繁に出てくる。
また、昨今ではコスプレやアニメやヴィジュアル系も東京発の最先端文化として紹介されている。お決まりのネオン看板も東京の特徴として捉えているが、ハイテク技術秋葉原やロボット技術にも興味が有るようだ。
彼らにとって日本とは先端技術と文化と活力、そして伝統と静寂と秩序が同居する魅力的な国のようだ。


確かにこれらは間違ってはいないが、ある一部分を大々的に取り上げるドイツ番組からは意図的なイメージしか受けない。
もしかしたら、ドイツ人の心の中には、同じ欧州の一員でも無意識か意識的か分からないが、北欧への憧れ、南欧や東欧への違和感があるのかも知れない。中国に対しては違和感ばかりであり、日本に対しては違和感がありながら、敬意も持っている。


日本にしてもドイツにしても、一国だけの海外諸国紹介番組を見ていたら、まともな世界観は生まれにくい。
ましてや、言論の自由が無い国や自虐史観が無い国や愛国心の過剰な国の番組が信用に足らないのは、自明の理といえる。


平和ボケした金満日本人には、自分だけが幸せならそれで良いとの思いがあり、そういった日本人に限って、日本を侮蔑し不平不満を嘯き他国を賛美し憧れる。
今こそ、日本人は中国への幻想を捨てるべき時ではないだろうか。
現代中国と過去の日本は同一?歴史を知っていれば、このような妄言は吐かない。中国との友好が第一?友好は大切だが、個人間の友好と国家間の友好は違う。チベット人ウイグル人その他少数民族の悲痛な叫びに耳を塞いでの友好は、彼らの虐殺に加担しているも同じだ。
経済人は自身の利益の為に、中国の悪行に目を瞑っている。傍若無人な中国に異を唱え経済的に困るのは日本ではなく、中国だ。
日本国民には、媚中政府や売国マスコミの煽動に騙されない、更なる鑑識眼が必要に思える。


聖火リレー 市民不在の小競り合い 長野の長い一日 走ってるのは誰? 2008年4月27日(日)産経新聞


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