木々の息吹

最近めっきり暖かくなって来た。そして春になると、ドイツ人の森に対する感慨が如何に強いものかと改めて認識させられる。
ドイツ人はやはり森の民なのだ。私もドイツで春を味わうにあたり、木々を大変いとおしく感じる。この感情の変化は日本では生まれ得ない事象であった。地震対策もあるのだろうが、例え日本の田舎町であっても日本では木々の息吹を感じる事は余り無いのではなかろうか。
この木々をいとおしく思う感情は、ドイツの町並みが影響を与えているのだろう。ドイツは森の中に町がある。そして広葉樹の多さも春夏秋冬を感じさせ、生命の生と死を感じさせてくれる。


今、あらゆる木々が芽を出し花を咲かせ、灰色に染まっていた世界を華やかな世界に変貌させている。生命の息吹を身近なところでも感じさせてくれるドイツは、生命の有難味や尊さをあらゆる人間に教えてくれる。
そこには、偽善に満ちた環境論もプロパガンダも必要ない。自然の有るがままの存在が、それら人間のあらゆる訴えかけよりも人の心へ素直に感銘をもたらす。ゲルマン民族は森に生き、森と共生した。その思想は森を支配し破壊したラテン民族とは明らかに違う。これからの時代の為にも、このゲルマン民族の心の素晴らしさを世界の人々は知る必要があるかもしれない。


森の民として、日本人もドイツ人と共通する心を有している点は同じだが、現代日本人には木々を愛でる余裕は果たして有るのだろうか。