スチームボーイを見て

僭越ながら、私は童夢のころからの十数年来の大友克洋監督の大ファンだ。
無論、異国の地でも最新作のスチームボーイは見逃すわけにはいかないと思っていた。そんな私も、遅ればせながらスチームボーイを閲覧する機会を得た。


総評を言えば、裏切られたとの思いか。
矢張り、誇るべきクリエイターも過去の映画やマンガの影響を受けていた。影響を受けるのが悪いとは思わない。文化とはそういうものだろう。むしろ大いに結構ではあるが、オリジナル以上の影響を見る人に与えているか否かが問題だ。
宮崎駿監督のラピュタナウシカを模倣したとしか思えなかったし、カタストローフィーはアキラを越えていなかった。大友作品の全てに言えるのだが、相変わらずの人物描写の弱さも否めない。
最初に現れたヒロインは、何処に行ってしまったのか?一期一会だったのか。
また、次に現れたヒロインのスカーレット・オハラにしても、エヴァンゲリオンのアスカ・ラングレーと、どうしても重なる。声優も上手いとは言えなかった(英語で聞いたらどうなのだろうか)。
おじいちゃんの存在はピエロだったのか・・・・。
映像技術は進歩したのだろうが、そもそも、現存しいてる過去のロンドンを破壊しても現実味が沸かない。


とはいえども、共感出来る部分も多い。それは、この世の善と悪の曖昧さだろうか。
オハラ財団もアメリカも、善でも悪でもなかった。祖父と父と息子、それぞれが己の信じる正義の元に動いていた。これは、ハリウッド映画にには到底表現できないものだろう。


私が、この映画に求めたいのは現実感と、更なる正義と悪の曖昧さだったのかもしれない。
ここで、勝手に提言したい。大友監督の表現力を宮崎監督の創作力を持ってすれば、世界の観客を魅了する映画が生まれるのではないかと。人は、お互いに足りない部分を補ってこそ存在するのではないだろうか。