日本における魔女狩り的報道

前回のJR西日本脱線事故以来、マスコミは挙ってJRの不祥事を捜し求め報道している。オーバーランや時刻表ミスや幹部の不祥事、果ては運転手の私的生活での不謹慎な行動まで叩くありさまだ。
果たしてマスコミ内部の腐敗、そして記者自身の矛盾や不道徳を棚に上げての執拗な取材は許せるのだろうか。


これらの出来事は最近になってJR内で起こっている出来事ではなく、今までもあったが、マスコミが関心を示さなかっただけのことは誰でも分かる。
では、何故今まで報道しなかったのか?今回の事故があったとはいえ、重要な出来事ではなかったから今まで報道しなかったのだろう。


私生活や多少の誤差まで糾弾する行為は如何なものだろうか。
ドイツの鉄道では、これら出来事は報道すらされない。運転手の交代で、交代する相手が遅刻をして数十分も列車が遅れる事がある。これらの遅れに対し、運転手によっては何も謝らないし、放送での説明もない。電車は遅れるものだとの認識があるからだ。そして、乗客も目くじらを立てることもない。
もし、ここドイツで日本の記者が日本的感覚でドイツでの鉄道不祥事を探そうとしたら、それこそ毎日、鉄道関係の報道で埋め尽くされる。


多くの日本国民は最近のJR関連の不祥事報道を見聞きするにあたり、どう捉えているのだろうか。JRをけしからんと思っているのだろうか、それとも過剰なマスコミの報道合戦に嫌気がさしているのだろうか。