気兼

気兼。この言葉程、ドイツ人と無縁な言葉は無い。ドイツ人は、何時如何なる時も自身の気持ちに正直だ。嫌なものは嫌、知らないものは知らない、同感できないなら同感できないとはっきりと意思表示を行う。私も、正直に述べて日本人と接するよりもドイツ人と接したほうが本音を言えるし、ストレスを感じない(ドイツ人に対し日本人には無い頼りなさを感じるが)。彼らが私に気を使わないから、私も彼らに気を遣う必要が無い。
日本の察する文化に染まった日本人にとって、彼等ドイツ人の振る舞いは失礼極まりなく厚かましく見えるが、無論彼等に悪気がある訳では無い。故に繊細な日本文化に心底染まっている日本人には、逆にドイツ人の応対はストレスに感じる。
だが、ドイツ人が気兼をしないからといって我を通す訳でもない。日本人にとっては規則が全てでもあるが、ドイツには人情が通じる。ドイツ人から、上司に相談などと言う言葉は出ない。当人同士の情で動く場合も多い。日本人は、どんなに気分がそぐわない場合でも愛想を忘れない。だが、ドイツ人はそうではない。落ち込んだ時は最大限に落ち込み。楽しいときは最大限に表現する。ドイツでは年齢の上下や役職の上下も余り重要ではない。役職や年齢が自分よりも上でも、敬語を使うと気持ち悪いと思う人々が多い。故に上司に媚を売る人物よりも、上司に思いのままに意見を述べる人物が尊ばれる。
これら日独の差が埋まるのは、容易ではないが、この点では、ドイツは素晴らしいと思う。東洋儒教の年配者を尊ぶ文化は大切だが、果たして年配者を崇め祀れとまで説教しているのであろうか・・・。尊ぶと、崇め祀れは全く違う。私は今の歪んだ儒教よりも、ドイツ文化を推奨したい。