屍や罪人に対する日中の捉え方

清朝食人刑・凌遅刑

島村宜伸農相は21日の閣議後の記者会見で、靖国神社A級戦犯が合祀されていることに関連して「A級戦犯の人は死をもって償いをした。日本ではどんなに罪があったと仮に認められた人でも、亡くなった人に石を投げる考えはない」と述べ、中国とは死者に対する考え方に大きな違いがあるという認識を示した。
 死者に対する考え方の違いについて農相は「中国は墓を倒してでもそこへ石を投げるという考え方があるそうだが、その辺はお互いの精神文化の違いでしょう」と説明した。
 さらに農相は「戦後60年たっており、当時私たちは子供で、そういう(戦時)行為に行きすぎがあったことを認めない(わけ)ではないが、それらについてどういうふうに責任を取ってくれるのだと言われても、戸惑うしかない」とも発言した。(共同)ANN

最近は敗戦60周年の節目との事も有り、大東亜戦争の話題が尽きない。今回もまた、政治家から靖国発言が出た。島村宜伸農相の発言は左翼でも右翼でも無い素直な発言であろう。最もな発想は尊重したいが、戦後の歴史は勝者に捏造されたものでしかない。


島村宜伸農相が今後、真実の歴史を知った場合は、日本の憂国派の強力な政治家となる素質を持っている。
だが、A級戦犯は冤罪だ。無い罪をでっちあげられて罪人にされた人々は報われるのだろうか。


一人の聡明な人物を紹介したい。その名は洪思翊陸軍中将。
陸軍大学校を卒業し中将にまでなったエリート中のエリートであり、生粋の朝鮮人でもある。彼の名前からも、創氏改名の強制が捏造だったとの事が理解出来る。現実に当時の創氏改名率は約70%。多くの朝鮮人は、祖先の誇りよりも白人と対等に渡り合える日本名に望んで改名した。
しかし、彼は違った。息子の洪国善に対し、自分を伝える時はどんな時でも「私は朝鮮人の洪国善ですと述べなさい」と教えていた。彼は戦中は南方軍総司令部の兵站総監の任に就き、戦後はフィリピンでのB・C級裁判(注:ABC級とは程度の差ではない)で捕虜虐待の罪で現地で絞首刑にされたが、証拠が全く無く明らかな冤罪であり、冤罪との証拠も五万とある。
洪思翊陸軍中将は王族出身でも貴族出身でもなかったが、その才能を大日本帝国に認められたた。
彼の例からも、戦前の日本と朝鮮の関係が分かる。その後、彼の親戚縁者は祖国朝鮮で国賊扱いされた。当時の誰よりも朝鮮人としての誇りを持ち、朝鮮人として貫き通してきた人物を持った親戚縁者に対する仕打ちとしては酷いものだった。親戚縁者はその後、祖国を逃れ多くの日本人により助けられたが、洪思翊陸軍中将も靖国神社に祀られている。


死者や罪人に対する日中の捉え方は、島村宜伸農相の言われる通りで、日本は罪人や敵に対する冒涜は殆ど行わない。
石田光成に対する家康の対応も然り、平家物語然り、そこには武士道に代表される日本独特の道徳概念が存在する。死体に対する恩情は特異なものだ。タタリを恐れる意味もあったが、宿敵を死後、神として敬い祀る行為は日本ならではだ。中でも、平将門菅原道真が代表として挙げられる。
対する中国は全く異なる。敵や罪人は人ではなく、死体も物でしかない。
酷い場合は敵の死体を残らず喰らう場合もある。そして、残忍な殺され方をされた死体を公衆に晒す。日本では精々、首を晒す程度であるが、中国は見るも無残な死体を晒す。敵や罪人を殺める場合も、日本では相手が極力苦しまないように、刀で急所を一刀が多いが、中国はジワジワと苦痛を与えながら殺める。罪人を被差別民が生きながら喰らう刑、凌遅刑がその極地か。邦人に対する戦前中国における通州事件も、その流れを汲んでいる。


日本人は、各国の民族性や歴史をもっと研究する必要がある。そうすれば、現代において既成事実として存在している事象への矛盾や疑問を発見する事も出来る。
民族性と歴史は、一つだ。