恋しけく 蝉の泣き入る 我が心 恋い慕えども 故地は儚き

ドイツの夏は蝉の泣き声も無い。聞こえるものは小鳥の囀りと風の音だけ・・・。ドイツの夏も暑い。湿度も日本並みにある事も多い。だが蝉は居ない。此処よりも涼しい北海道にも存在するにも関わらず。蝉が居ないが故に涼しさを感じるのだろが、同時に寂しさも感じる。南仏にもスペインにもギリシャにも蝉は居るがドイツには居ない。だからこそドイツ人は、南を求めるのだろうか。そして、私も生命の謳歌を聞きたいが為に日本に憧れる。
蝉は儚くも尊い生命の尊厳を感じさせ、私を育てた日本という存在への感謝の念も思い起こさせてくれる。いつしかドイツの静寂の夏も日本の躍動の夏も、いとおしく感じる時が来るのだろうか。ミンミンゼミ、クマゼミアブラゼミツクツクボウシ、ヒグラシ、彼らは同じ夏でも初夏・盛夏・晩夏と棲み分けをし、色々な夏を教えさせてくれる。だが、ここにはそれら季節の変わり目を教えてくれる先生は居ない。それとも、私がまだ先生を見つけられないだけなのであろうか。
今の日本人は、季節を伝え生命の尊さを教えてくれる貴重な先生方に対し感謝していない。夏における蝉の訴えかけを日本人は無碍にしていないだろうか、梅雨における蛙の鳴き声を無碍にしていないだろうか、秋における鈴虫の鳴き声を無碍にしていないだろうか?それとも、ただ単に私が自然による様々な音楽を好きなだけであろうか。
蝉の声で朝を迎える日本の夏は、春夏秋冬、小鳥の囀りだけで朝を迎えるドイツよりも季節感があって良いと思うのだが・・・。