ドイツと日本のアイデンティティー

やっと、ドイツにも夏が戻ってきた。とは言いつつ、25度から30度位だが・・・。



この日記は、ドイツを取り上げた名詞検索では常に上位に位置するので、ドイツ+何某での検索でたどり着いた方も多いと思われる。しかしながら、当日記においては私情や日常生活を極力公表しないようにしている。恥ずかしながら、私は自身を公にした場合の弊害を恐れている。
私の主張は、朝鮮や中国籍の方の反感を受けかねない。正直に言うが、実社会ではそれらの国籍を持つ人々との係わり合いも有り、彼らとも上手く付き合っている。
ここで私を公にして、彼らに私の主張をミクロな面で捉えられるのも心外であるし、それにより私の主張を抑える事も出来ないからだ。


ここでは、一般の閲覧者にも共感出来るような題材を選んでいる。
極秘な話しを得ただけの自慢気な話しや、政治的に重要な人物にあったとの話しは自身の権威付けや、自身の言い分を正当化する為の“はったり”にしか思えないからだ。
口の軽い人間は、敵からも味方からも相手にされなくなる。
万人が共通して得られる情報で、世界の矛盾を理解出来るような話しこそが、真実だと思っている。それでも、共感してくれる人は言わずもがな。


権威付けは詐欺師と同じ行為といえる。日本には大学中退でも堂々と履歴に残す人がいる。だが、それは本来なら恥ずべき事ではないだろうか。そのような人は何かしら権威に憧れていると思って間違いない。そして、東大出や有名人ははそれだけで、いくら偏屈な人でも権威と説得力を持つ事が出来る。逆に相手が若いとの理由だけで、見下す人もいる。
だからこそ、私は自身を語らない。


日本に居ては分からない祖国がある。海外に居てこそ分かる日本の不条理や素晴らしさがある。海外に居てこそ分かるドイツと日本の世界における存在理由がある。
多くの方々が共感して下さっているが、思想の強制はしない。
稚拙な文章ながら、少しでも今日における日本の誇るべき点、改善すべき点に気付いて頂けたらそれで私の役目は終わっている。


トラックバックもランキングもしていない当日記に出会えたのも何かの縁、無下は罪というもの。融通無碍こそ求むる道。
私は、人類を超越している人々の様に影響を与える事は出来ないが、一つの“きっかけ”になれたらと思っている。


全ての人々に、一業所感。