殺伐化する日本

一昔前の日本では鍵が必要なかった。そして、和を尊び助け合いが至る所で見られていた。対照的に昨今は治安悪化が叫ばれて久しい。これを在日朝鮮人や在日中国人や日系ブラジル人に原因を転嫁する事は簡単だ。彼らの犯罪率の高さは日本人の比ではない。だが、ここで考えてほしい。では、今の日本人は他人に対してはっきりと悪いことは悪いと言っているのであろうか。子供が電車内ではしゃいでいたら、しっかりと叱る事が出来るのであろうか。犬の躾は万全であろうか。私は、暴力を肯定しないし、自己中心主義も認めない。だが、最低限の道徳概念を伝える事は義務だとも思っている。憂うべき事に、今の日本人は言葉で躾ける事さえも出来なくなってしまっている。他人の子であれば母親の顔色を伺い。自分の子であれば、反抗されるのを恐れる。欧米人であれば媚びへつらい。特定アジア人であれば偽りの罪悪感から低頭し、彼らの横暴を許容する。そんな日本人の体質が今の日本の現状を齎したのではないだろうか。私には、犬を躾けることも、外交で自身の主張を相手に伝えることも同じに思える。在日朝鮮人や中国人の人々と対等に付き合う事も、報道で特定アジアの真実を訴える事も同じに思える。家に帰って娘に貶される父親が果たして、外国との対等な関係を築けるのであろうか。圧力に負けないで、真実の報道を伝える事が出来るのであろうか。
日本人は自身の思想及び歴史に自信を持つべきだろう。戦前までの時代は暗黒時代などではない。最も日本人が光り輝いていた時代なのだ。そんな時代の日本人や歴史を無碍にする現代日本人に、果たして未来はあるのであろうか。日本の思想は誇るべきものであり、海外にも伝播して然るべき素質を既に有している。日本人よ、萎縮してはならない。騙されてはならない。日本の伝統的思想は平和思想そのものなのだから。