愛国心を糾弾する反日分子の欺瞞と矛盾

mensch2006-03-10



反日極左や一部の反日移民の方々は、仕切りに愛国心の恐ろしさと矮小さを喧伝している。あたかも愛国心が戦争を呼び、愛国心を危険視する者が平和主義者であるかの様に・・・。どうやら彼らの脳の中には、愛国=軍国とのイメージがあるようだ。
さて、自国を大切に思う心は本当に悪いのであろうか?そして何故その心が戦争を呼ぶのだろうか?愛国無罪と叫び捏造の元で異常な愛国心と反日プロパガンダを続けている中朝韓には、日本人が足元にも及ばない愛国の戦士が五万といる。ならば、中朝韓は日本よりも更に危険な戦争待望国家ではないだろうか?何故、中国の軍備増強には見ない振りをして、日本の自己防衛には文句を言うのであろうか?更には中国によるチベットウイグルでの民族浄化・血の静粛は何故今も続いているのか?米国と縁を切れというのであれば、誰が日本を守ってくれるのか?
反日分子はこれら質問に対して何ら決定的な反論が出来ないでいる。
様は、ただただ日本人の愛国心は危険であると大声で吼えているだけなのだ。反論もせずに吼えるだけでは効力が無いと分かってくると、彼らは新たな手を考えてきた。『愛国心』は『恥かしい事』であると。彼らの言う「昨今の日本人の愛国心は自分に自信が無いことの顕れであり、自国の偉大さを自身の身代わりとして満足している」との見識にいたっては笑止千万だ。
それこそ、中朝韓の人々にこそ当てはまる言葉ではないだろうか。更には、朝鮮で差別され逃れてきた多くの白丁や済州島出身の在日朝鮮人の方々でさえ、祖国を愛している。可能であればその言葉を是非、世界各国の人々にも言ってもらいたい。


日本には愛国心を持たなくても十分誇るものが沢山あり、刺激も溢れている。自分に自信を持てない者が国以外に希望や興味を持つものは、それこそ五万とある。では、反日というアイデンティティに凝り固まって、平和主義で進歩的なエリートであるとの自信を持っている反日分子から、それらを奪ったら何が残るのだろうか。
彼らこそ自分達に自信が無いのであり、反日思想が無くなったら自分達の存在理由まで無くなるとの思いに駆られているのだ。だからこそ、反日分子は今の日本人の心に生まれつつある愛国心を撲滅させようと画策する。


しかし、祖国を守ろうとしない事がどの様な結末を辿ってきたか。
前回話をした中国軍による一般在留日本人の大陵辱虐殺事件の原因は、無防備と中国人に対する過度な信頼が災いした為だ。
スイスは何故、今まで中立を保ってこられたのか?これは何も中立国宣言をしていたからではない(現に中立国宣言をしていたにも関わらず、第二次世界大戦中に占領された小国は沢山存在する)。スイスが中立を貫き通せたのは、自国は自国の軍事力で守るとの信念があったからだ。スイスは今でも会社の肩書きが軍隊の肩書きに通じており、有事には社長が将軍になったりする。今でも強大な軍事力を保っているが、それは他国へ侵略する為ではない。自国を守るためだ。

そもそも、自衛の為の戦争と、侵略の為の戦争は違う。仮に日本がアジアの小国で自衛も出来ない国であったら、アジアの独立は大分遅れていたことだろう。今のアフリカの苦悩は何故起こったのか?彼らは過去の時代において自衛をしたのか?


だが、ここで見誤ってはならない。中国は自国防衛との名目の元に防衛以上の軍事力を今も育てている。ロシアや南北朝鮮も同じく。
無防備宣言したから他国が攻めてこないとの発言は、愚の骨頂だ。そこまでは考えていないとしても、無防備宣言の国に攻めてきた他国の兵士が、笑顔で握手でも求めてくると本気で考えているのだろうか。
この世界は残念ながらお花畑ではない。日本人の様に優しく平和ボケした人々ばかりではない。
過去の歴史でなくとも、現在のアフリカでも続く大虐殺事件は何故防げなかったのか?チベットウイグルの現状を売国反日分子は知っているのか?彼らは、その様な現実を知っていても見て見ぬ振りをする偽善者達だ。反日分子は、それらの原因が何故起こったのかを、もう一度深く考えてみる必要がある。
祖国を大切に思う心は尊いものであり、それを悪として撲滅せしめようと企む人々こそ非常に危険な存在だ。愛国心を撲滅せしめようとしている人々にとっては、日本を守る事よりも自身を守る事の方が大切なのかもしれない。
極左こそ、反日分子こそ偽善の仮面を被った戦争扇動者だ。平和を語るにあたって、平和を守るにあたって問題なのは愛国心では断じてない。問題は、自衛をも悪と考える国内反日売国分子達だ。
(最も、今の日本人は愛国心と言うよりも、歴史の真実を訴えているだけなのだが・・・。)