町並み浄化と国民意識

白川郷


日本では、伝統のある調和のとれた町並みは京都や倉敷や飛騨高山等の観光地でしか見ることが出来ないが、ドイツでは至る所に存在し名も無い小さな村でも美しい町並みが存在する。日本では村興しの一環で山梨県身延町のように、古い町並みを再現する町も多いが、こと一般市街地に関しては無計画とカオスが支配している。


ドイツは町並みにも公の介入がある。建物だけではなく電柱も地中化され看板も少なく緑も多い為、どんな田舎町でも都会でも美観は保たれている。同じように日本にも建築規制はあるが、外観の規制が無い為、調和の無い町並みとなってしまった。だが、これは本来の姿ではない。戦前までの日本の町並は調和が取れていた。


今の日本とドイツ、どちらの景観が優れているかとは言わないが、どちらが落ち着ける環境かは言うまでもない。
日本ではマスコミが取り上げるまでもなく、ゴミ屋敷を発見できる。家の前がガラクタで占拠された家はドイツ人が見たら卒倒ものだろう。対照的にドイツでは自転車が家の前に置かれているだけでも美観を損ねると苦情がくる様なお国柄だ。


確かに、現在の生活スタイルでは和風は不便な面も多い。だが、それはドイツとて同じだ。
ドイツでは100年以上前の家も普通に存在する。だからといって家の中まで古いスタイルのままかと言われればそうではない。家の中は新築住宅と同じように改造している家が多い。外観は100年前でも家の中は最先端の快適な生活を送れる。
日本もドイツの様に外観は和風に統一しながらも、家の中を現代風にして良いのではないだろうか。これは自治体による町並み保存に関しても同じだろう。


ドイツは日本以上の激しい空爆を受けた。第二次世界大戦中、ドレスデンのみならず殆どの主要都市が激しい爆撃を受け廃墟となった。
だが戦後、戦前の残された写真だけを頼りに殆ど同じ町並みを再建した。対照的に日本の町並みは未だに終戦直後を引きずっている。


日独の町並みの違いは、公の力の差も多い。確かに公の積極的な介入は必要であるが、日本における中華街も公が介入していない。アジアの混沌を代表するような中国人の町だが、少なくとも他の日本の町並みよりは調和が保たれている。思うに、これは自国の文化と伝統を如何に誇りに思っているか否かに由来するのではないだろうか。


恥ずかしながら嘗て私も、洋風の家を好み和室を忌み嫌った。だが今は、日本の伝統的な家は世界でも稀に見る美しい建造物だと思っている。
白壁の連なる倉敷、圧倒的な合唱造りの家が連なる白川郷。ドイツに町ごとに違った建築風景がある様に、ごく一部ではあるが日本にも伝統的で個性的な美しい町がある。
これらの町は電柱を無くし道路を石畳にでもすれば、ドイツの町並みに匹敵する潜在的美しさを持っている。対照的に過渡期に生まれたトタン張りの家に代表される安普請の家は明らかに町並みを無秩序にしている。


昨今、欧米のエリート層は日本の建築様式や室内環境や庭園を真似た家を盛んに好んでいる。彼らにとって日本の建築様式は洗練された高級なイメージを持っているようだ。そこにはアジアに対する一般的なイメージ“カオス(混沌)”とは明らかに違う感慨を持っている。日本独特のワビやサビ文化が影響しているとも思われるが、アジアの中でもかなり特殊な日本文化は魅力に溢れ誇るべき点が多い。
以上の例からも分かるように、外国人が日本建築に魅力を感じ、日本人が疎んでいる現代の風潮は如何なものか。


昨今、愛国心が盛んに取り上げられているが、それだけではなく日本の伝統や文化の素晴らしさも積極的に日本人に教えるべきだろう。日本の伝統や文化を愛すことが出来れば、自然と日本を愛し守る心も生まれる。
そして、自然と日本の町並みも浄化される事だろう。