流行りとドイツ

流行は、ドイツと無縁といっても過言ではない。それは全てにおいて当てはまる。対照的に、日本の流行り廃りは恐ろしいほどの早さだ。
車を十年以上10万キロ以上乗るのが一般的なドイツ人は、走行距離3万キロ程度で乗り換える日本人を理解できない。ドイツでは若者のファッションにおいてもブランドを好まずパリジェンヌの様に最先端を追うことも無く、個々が様々な格好をしている。日本では過去に幾多のブームが過ぎ去ってきた。ボーリングやビリヤード、モツ鍋にナタデココ。衣食住の、それこそありとあらゆる物が流行に踊らされてきた。


対照的にドイツでは、数十年前のボーリングセンターがブームも経験せず潰れることも無く、細々と営んでいる。これには歴史的背景も無視できない。ドイツは今現在、ヒトラーによる全体主義の反動から、個人主義が猛威を振るっているからだ。一般的現代ドイツ人は大勢に迎合する行為は個人の意志のない子供と同じだと捉えており、大勢に従わない行為は非行であり悪と捉える日本とは、大きな隔たりがある。
日本における流行は、マスコミや企業が自身の商品を買ってもらうための洗脳との面が強い。発信者は、その流行に乗らないことが時代遅れで田舎的でモグリだと印象付けようとする。だが、ドイツは日本と違い時代遅れは物を大切にする心、田舎は人間的で自然を愛する心、モグリは客観的に物事を見る事が出来る心との様に肯定的意味合いを持つようになる。だからドイツ人には、その様な甘言は無意味だ。


ここまで言うとドイツは素晴らしいように思えるが、では本当にドイツ人は個人主義を確立したのか、大勢に迎合していないと言えるのか。


実際には、ドイツの個人主義は戦後のアメリカ的教育と政府指導の賜物だ。であるならば、集団主義を否定する今のドイツを集団主義と例えても、おかしくは無い。植え付けられた個人主義という思想に従う人々は、集団に居ることを心地よいと思っている人々さえも迫害していないだろうか。ホロコースト検証問題では、個々の意見を尊重しているのか。そもそも集団主義は本当に悪い事なのか。
日本人もドイツ人も、その発端が戦勝国や教育や政府にせよマスコミや企業にせよ常に踊らされているのだろう。


日本の風潮は経済発展には良いのだろうが、果たして個人には良いのだろうか。ドイツの風潮は個人には良いのだろうが、果たして経済発展には良いのだろうか。
現代ドイツの表面的な個人主義は経済発展を沈滞させ、他人は他人との放任主義を育てつつある。ステレオタイプであるが、日本の集団主義は個性を失わせる。プラスに捉えるとして、日本の経済発展は人々の暮らしを豊かにする。ドイツの個人主義は自分自身を豊かにする。


だが・・・もしかしたら、どちらも個人や経済発展にとって良くないのかもしれない。今の私にはどちらも行き過ぎの様に思えて仕方がない。
何か別のもっと素晴らしいものが有るような気がしてならない。