日本国国旗や国歌を不快に思う、その根源とは

時事通信



最近、現状を知ってか知らずか、日本人であるのか否かも不明な日教組や、左翼朝鮮系市民活動家や、中韓の常識を知らない大アジア(擬似大東亜共栄圏)主義者や、能天気日本人を目の当たりにするにあたり、ナチスではないが民衆とは、そもそも愚民ではないのか、そして、愚民を愚民として育成するのも、アダムやイブのように目覚めさせるのも、一市民が個別に叫んだところ何も変わらないのではないかとの現実に、深い憤りを感じている。
私は差別主義者を許さない。だが、自分自身が、そして自身の子孫が悲劇を味わうどころか、存続さえも危うくしようとしている今の民衆に対し、愚民との表現をせざる得ない現状を、少しでも理解して頂けるであろうか。では、冷静に考えて愚民とまでは表現しなくとも、純真無垢な民衆を利用する反日組織に対し、私達はどの様に対処すれば良いのか。今日は、それについて考えてみた。
自国の国旗を不快に思う感情は、果たして正常なのであろうか。日本はそれ程、悪行をした国家なのであろうか。これに対しては、真実の歴史を訴え続ける事でしか処方箋はないのだろう。
反日連合の盟主は誰であろうか。その首領として、日の丸アレルギーの在日韓国人の方々が挙げられる事だろう。極端な場合、彼らはサークル状のデザインを見ただけでも日の丸を想像し嫌悪感を爆発させる。最早、反日だけが民族のアイディンティティーを維持しており、彼らの理念は末期症状にまで達している。韓国では、2004年にソウル市庁舎前広場の円形芝生が、日の丸に似ているとの事で(ただ単に緑色で円形なだけだが・・・)市民の間で大論争を巻き起こした経緯がある。

そして反日分子の次鋒に挙げられるのが、自身の偽りの正義感に慢心し、韓国人の偽りの涙の訴えに同感した極左思想家であろう。

そんな、極左や反逆分子の蔓延る日本を尻目にドイツは今、ワールドカップを契機に愛国心が高まりつつある。それを危険として喧伝するのは簡単だろう。しかし、シュピーゲル等の一部の極左報道機関は別として、ドイツにおける愛国心の高まりは、ドイツのみならず、概ね欧州各国は歓迎している。日本国内の反愛国心派は少し考えて欲しい。自国すらも愛せない、更には自身すらも愛せない人間に、他国を、他人を愛する慈しみの心が本当に芽生えるものであろうか。自分を愛せないのは他人のせい、自国を愛せないのも他人のせいでは、いつまでたっても自身も自国も成長改善しないのではないだろうか。日本人とは違い、ドイツ人は少なくとも、この点は理解している。
今回の裁判自体も世界では異常な裁判だ。そして中国や韓国は、異常なほどの愛国主義国家だ。だが、これら国歌で、このような裁判が過去にあったのであろうか?そもそも、裁判をしたいと嘆願した時点で、反逆分子として弾圧投獄されることであろう。韓国は同じ国家として敗戦したのに、どうしてこうも違ってしまったのか。捏造の歴史がある限り、日の丸の存在自体を嫌悪する輩はこれからも生まれ続けることであろう。
真実に目覚めた人々よ。無知蒙昧な人々を感化させるには、生半可ではない不屈の精神が必要なのだ。彼らの偽りの恫喝や、偽りの涙に騙されてはならない。私達は真実を持っている。この真実は何ものにも代えがたい代物なのだ。躊躇してはならない、諦めてはならない。私達の躊躇する心が、諦める心が、彼らの慢心を増大させ、捏造を増大させ、平和を阻害させ日本国の将来、強いては自身や子孫の将来を亡きものにさせているのだ。
そもそも、今回の日の丸裁判での勝利は地裁だけだ。そして、裁判所には今もって極左裁判官が蔓延っている。更に言うなれば、最高裁で勝ってこその真実ではないだろうか?これをもって、無闇に勝利と喧伝する市民団体もマスコミも扇動行為をしているとしか思えない。さて、前回の小泉首相靖国裁判を違憲としたのも同じ流れであったが、その後はどうなったのであろうか。
全ての人々に、一業所感。


ドイツとメランコリー『礼節の国と礼儀の国』


「日の丸・君が代強制は違憲」判決を支持する 信念貫いた教職員らに敬意  韓国オーマイニュース