マナーと個人主義の相関概念

電車は各国の特徴を知る上で重要な役割を果たしている。到着時刻の正確さ、快適性、居住性、清潔度も重要な手がかりだが、やはり一番の手がかりは利用客か。彼らから、各国の特徴のみならずマナーに対する価値観の相違を感じることも出来る。
マナーとは万国共通のようにも思えるが、実際は重要度の問題や、文化的差異によって異なってくることが多い。


よく、日本の女性は電車でも化粧をすると批判を浴びせられるが、習慣やマナーも文化的歴史的要因に追う部分が大きく、それをもって日本のモラル低下を嘆くのは聊か早計ではないだろうか。私は、そういったミクロな面で物事を語るのは好きではない。
実際には、世界中を見回してみると、ドイツも日本も世界では稀な民度の高い先進国と分かってくる。とは雖も、完璧なはずもない。


例えば、ドイツでは男性よりも若い女性の歩きタバコが多い。電車や駅の中で、タバコを吸えない彼女たちは、駅から離れると一斉にタバコを吹かし始める。電車の中で化粧をする女性が少ない代わりに、携帯電話をマナーモードにもせず、平気な顔で電話をする人々も多い。更には、サッカーの試合がある時などは、酒を浴びたサポーターが電車内でも大声で歌い叫ぶ。車内窓ガラスへのコインを使っての落書きも目に余るものがある(日本で言うところの、10円傷)。
対照的に、日本ではこれら事象はあまり起きない。だからといって、日本人のマナーが良いといえばそうでもない。
辺り構わず大きな声で会話をする女子高生達、狭い車内にもかかわらず集団で床に座りこむ男子高校生達。
このように、日本とドイツにおけるマナー認識の違いはあるが、類似点も多い。
例えば、子供に対するシツケは両国とも同じだ。最近の親達には、子供に対する放任主義がはびこっている。子供が電車内を走り回り、イスを占拠し暴れまわっても、文句も言わない親がいるのは両国とも相違無い。更には、ホームや駅周辺のゴミの氾濫も見逃せないレベルになっており、ドイツの地下鉄においては、「貴方のゴミを見捨てないで」との広告が張られる有様だ。


マナーとは、家庭だけでしつけられるものだけではない。それは、マナーを尊重しない親がいるからだ。そういった状況を補うべき存在が、学校だったのだろう。
だが最近の学校は、子供の顔色、しいては、その親の顔色ばかり伺っている。それが要因となり、ベルリンにおける暴力学校や、日本における教師の犯罪やイジメ等、様々な弊害を齎している。
その余波は、学校内だけではなく電車内でも分かるように、社会全体に広がりつつある。


家庭内での教育も大切だが、一番大切なのは公による教育であり、社会の共通概念ではないだろうか。昨今の個人主義(アメリカ主導の)は、そういった古来受け継がれてきた日独両国民の美徳をも破壊しようとしている。
そこには、ドイツ人が好きな秩序(ORDNUNG )も、日本人が好きな和も無い。あるのは殺伐としたエゴイズムだけだ・・・個人主義が美徳との時代は、既に終わってはいないだろうか。


ドイツで学校制服導入の動き タブーより荒廃に危機感