愛すべき不器用なドイツ人

日本人からすると、ドイツ人は日本人と同じく器用な民族だと思われている。だが残念ながらそれも過去の話になりつつある。
それには、ドイツにおける教育制度の荒廃も影響している。ドイツは未だに2000年から始まったPISA (学習到達度調査)ショックから立ち直れていない。
昨今のシングルマザーの増大や未婚の出産によって、親からも満足に教育を受けられない子供も増えている。確かに、教育と器用さは一見、直結していないように思われるが、やはり“後継者に技術を託す”というシステムがここドイツでは崩壊の道を辿っているとしか思えない。


ドイツにはマイスター制度があるが、最近では修行の身にもかかわらず、面接時、雇い主に「いったい、どのくらい私に給料を与えるのか?」「休暇はどのくらいあるのか?」と開口一番に質問する若者も増えている。彼らは自身の技術力不足を棚に上げて、権利だけを主張しているのだ。こういったご時勢では、職人が育つ術も無い。故に、職人の質も必然的に低下し、逸品も生まれなくなる。


更には、一般人にもそういった思想は及んでいる。ドイツ人は昔から身の回りの事はなるべく自分でやってきた。車のメンテナンスから、風呂の取り付けまで、それこそあらゆる事をドイツ人は業者に頼まず自らの手で行ってきた。
だが実際それは、欠陥だらけだ。職人でさえ欠陥を生み出す今のドイツにあって、素人が職人以上の物を作り出す土壌は残念ながら無い。
ここから先はプロに頼んだ話だが、ドイツでは床が多少傾いていようが、日本の様に欠陥住宅だと叫ぶことは無い。天井ライトが突然落ちようが、それも有りだと言う。室内にペンキを塗って、窓ガラス等、塗ってはならないところを多少塗ってしまっても問題なし。家具を購入して、配達時に角が既に破損していようが問題なし。
どれもこれも適当だ。だが、それはそれで、暖かみがある。
日本であったのならクレームものだし、アメリカであったのなら訴訟ものだろうが、ドイツ人はプロに頼んで前述した現象が起きても、文句一つ言わない。だが、こういった許容範囲の広さは人々の関係を円滑に保つが、国際競争力や完成度に関しては落第点になるのも否めない。


どちらが良いのだろうか・・・。これは、ミクロ的、マクロ的に見るかで結論は違ってくるのだろう。