仕事の分担と責任の霧散

ドイツにおける社会構造の歪みは何か。分業制も、その一因といえる。
多くのドイツ人は共通の口癖を持っている。それが、「Ich weiss nicht.」「Keine Ahnung.」即ち、「私は知らない。」だ。これは、店員も口にする。日本の店員であれば、「私は知らない。」は最大の無責任な言葉であり、仮に知らなくても、「お調べします。」との言葉が出るものだが、ドイツではそのような気使いは殆ど無い。
こういった口癖のあるドイツ人が持つ概念は、共同体意識の欠如を齎し、社会構造の歪を大きくする。要は、「他人の仕事は他人の仕事であり、私が知る必要は無い。」「他人に仕事を任せたら、後は他人の責任であり、任せた自分には一切責任は無い。」との発想が蔓延るだけなのだ。だからドイツでは、届けたものがしっかり届かないとの事が多々あるし、情報伝達のミスも日常茶飯事だ。


この思想は、子供時代から既に育てられている。ドイツの学校では、子供は掃除をしない。掃除は掃除業者の仕事であり、子供は学業に専念すれば良いとされ、更には、掃除業者に代わって掃除をする行為は、掃除業者の職を奪う悪い行為だと非難される。
対照的に日本では、勤め人になっても自分達で掃除をする会社が多い。極端な会社では、社長が率先して便所掃除をする会社もあるほどだ。社長が率先して便所掃除をする会社では、掃除をしない社員が秩序を乱すものとして糾弾されるが、仮にドイツでこのような事をしたら、それこそ社長が社員から告訴されるだろう。
社長が率先して便所掃除をする会社も行きすぎだとは思うが、子供自身が散らかした身の回りを掃除しない社会も行きすぎだろう。
確かに、専門業者が清潔な環境を守るのも、個人個人が清潔な環境を守るのも結果は同じだが、人々の思想を形成するにあたっては大きな開きが生まれる。


何事も行き過ぎは良くないが、少なくとも、どちらのシステムが協調性と競争力を生ませるかは、明白だ。