隣の芝生

mensch2008-01-14



音が恋しい。
私の故郷がくれたもの。それは音だと思う。春はウグイスの鳴き声、梅雨は蛙の合唱、夏は様々なセミが初夏・盛夏・晩夏を教えてくれる。そして秋は鈴虫、冬は寒風吹きすさむ音。
日本には、誇るべきものがまだまだ有る。それは格差の無い裕福で平和な社会だけでも、ハイテク技術だけでも、文化だけでも歴史だけでもない。
音だ。


ドイツは静寂が支配する世界。季節感も余り無い。聞こえる音と言えば年中、小鳥の囀りと人の囁きと車の音だけ。
セミも居なければ、蛙も鳴かない。
季節感は日本人の心に何を与えたのか。それは、命の儚さ、有限の尊さを与えてくれたのだろう。


そう、今その一瞬に、そこに在るものの尊さを、教えてくれていた。


今は、日本で当たり前と思えるものが、うっとうしいと思えるものさえも、大切で懐かしく感じる。



日本人は何故、愚痴ばかり言うのだろうか。どの国家よりも平和で、どの国民よりも高所得で物や娯楽で満たされていて・・・そして、どの国家よりも四季を感じる。
そういった、何気ないものにも幸せを感じない、悲しく高慢な日本人。


隣の芝生は青く見える。この言葉は正に、日本人にこそ当てはまるのだろう。
狂信的なマスコミは、格差社会と煽り、少子化や老後の不安を煽る。そして、暗愚な肩書きを持っただけの人々も、更に高圧的に日本の危機を煽る。
格差社会?王族が支配するアラブは?社員と社長で数百倍の格差を生んでいる中国は?他国ではなくとも、戦中までの日本の財閥一族にとって今の日本の金持ちなどゴミ同然だ。
地域格差?何処に?なら、アフリカと日本を比べてみるが良い。
少子化など、韓国や中国の方が深刻だ。先進国でもないこれら国家が少子化になるとの事実は、日本が少子化になる事実よりも遥かに問題だ。
また、年金問題も年金制度がある国家の我侭に過ぎない。


我侭を当然の権利と感じるようになった日本人は一体、何処へ行くのだろうか。
今、そこにある日本の危機は、偽りの格差社会でも偽りの不況でも年金問題でも教育の荒廃でもなく、日本人としての自信を無くす様なマイナス思考と不安を煽っている人々が日本国内に存在する事ではないだろうか。

そう煽っている人々は、彼らの理想とする米国や、中国・韓国と同調して、やっと自らの誤りに気付くのだろう。



隣の芝生は青いどころか、腐っていたと!!!


当たり前の事が幸せだったと、日本人はいつ気付くのだろうか。
だが・・・気付いてからでは遅い。