道義と秩序を尊ぶドイツ人と日本人

mensch2008-01-21



「ドイツ人(ゲルマン民族)は好戦的で野蛮だ」と定説の様に述べる人がいるが、果たして本当だろうか。
だが、ドイツに住む私としては到底賛同できない。
ドイツ国内で、好戦的に見える人々の多くは、ドイツ語を母国語としていない。彼らは異国の地に住むが故の反骨精神なのか分からないが、肩を切って歩き声を張り上げ、見知らぬ人を睨みつける。
対照的にドイツ人はどうか。体だけは大きいが、彼らの目は一様に優しく威圧感は皆無だ。
逆に南欧へ行って、人々の目力に驚かされる事がある。日本のヤクザや不良達の様な目が南欧には多い。


ドイツ人男性は非常に真面目でシャイだ。よく、イタリア人男性と比較されるが、両者は全く違う。女性を見れば誰彼構わず目を合わせウインクするイタリア人男性。方や、女性が前を通ってもそ知らぬ振りをして、通り過ぎてから後姿を眺めるだけのドイツ人男性。
イタリア人男性が狩人とすれば、ドイツ人男性は内気な坊やだ。民族性とは、簡単に変わるものなのだろうか。俗な性質を捉えても、謎は深まるばかりだ。


民族性は親から子へと引き継がれ、歴史上における民族の行動や伝統にも反映される。故に、早々変わるものではない。
では何故、そう思われているのか。歴史を紐解いてみると、要因が垣間見えてくる。
それは言わば、歴史を残せる側からの記述と、勝者の歴史によって固められたイメージに過ぎないのではないだろうか。即ち、古代においてはローマ側からだけの観点、近代においては米英露に代表される戦勝国側からだけの観点によって歪められているのではないだろうか。


同じような事例は、日本にもあてはまるだろう。真面目で内気な日本人が何故、第二次世界大戦で残虐行為をしたのか不思議でならない人も多い。中国や韓国の矮小な一部国粋主義者は、日本人は野蛮人と侮蔑する。
これは、既に何回も述べているが、南京事件は捏造、731部隊は防免部隊、沖縄集団自決に関しては日本軍が阻止しようとしていた等の様々な冤罪により、他国人に比べ残虐性が少なく、今も昔も日本人は大人しい性質だと分かってくる。
中世の倭寇にしても中国人や朝鮮人が大半だった。また、朝鮮出兵においては、日本軍を李氏朝鮮や明による圧政からの解放軍として向かえる村々が多かった。


歴史上でゲルマン民族(ドイツ人)が好戦的だと位置付けられる要因として非常に大まかだが、ゲルマン民族の大移動に伴う西ローマ帝国崩壊や諸王国設立、近年ではナチス・ドイツが挙げられる。


だが、これらを持って好戦的と断定するのは聊か早計ではないだろうか。
物事には要因がある。ゲルマン民族はただ闇雲に血を求めて戦線を拡大し、領域を拡張してきた訳ではない。
ゲルマン民族の大移動は紀元4世紀に始まるが、当時の気候変動が要因とされている。更には、飢えを凌いで温暖な土地を求めてきたゲルマン民族は平和裏に定住した事実もあり、彼らは言わば難民とも例えられる。
故に、ゲルマン民族は他国へ攻め入る場合においても常に家族を連れ立っていた。
そういった彼らは、文明国と言われたローマによって虐殺される事がしばしばあった。ローマの言い分はこうだ。文明国家どうしなら未だしも、野蛮人相手の契約など反故にしても何ら問題は無い。
こういった不道徳なローマ的思想に対し、ゲルマン民族が怒らない訳がない。最古の従士制を持ち、血よりも信頼と秩序こそ最上と捉えていた彼等にとって、姦計蔓延るローマこそ不純で許されざる存在に見えたことだろう。
それはゲルマン系ゴート族とローマ・デキウス帝との戦いでも垣間見られる。ゴート族からの和解金に応じず攻め入ったデキウス帝は息子諸共殺された。それをもって残虐だと論ずるのは、事の経緯を明らかに無視している。
もっとも、当時のローマ人がゲルマン民族に厚い信頼を置いていたのも事実だ。それは、ゲルマン民族がどの民族よりも忠実で真面目だったからだ。故に、ローマの傭兵としてゲルマン民族が頭角を現したのは至極当然ともいえる。
西ローマを最後まで守り通そうとしたスティリコ将軍もゲルマン民族出身だ。彼は蛮族出身との理由だけで内通罪に問われ408年処刑された。彼の死により要を失った西ローマは僅か二年後にゴート族に滅ぼされた。
ローマとゲルマン民族の対照的な民族性は、紀元後間もない時期に一部聡明なローマ人も既に感ずいていた。ローマの歴史家タキツスは、98年発刊の『ゲルマニア』にて、退廃しているローマ人はゲルマン民族の高い道徳性や平等性を模範とすべきと説いている。


第二次世界大戦におけるドイツも同じくだろう。ナチス・ドイツによる東方拡大は、東方に点在し第一次世界大戦の敗戦民族として虐げられていたドイツ民族救済の意味合いが大きい。
フランス侵攻にしても、ドイツ産業の中心であるルール工業地帯を第一次世界大戦の勝利で1925年まで無慈悲に接収占領したフランスへの恨みが大きい。
また残虐と言われるナチスだが、ヒトラーたっての願いにより化学兵器を戦場で使うことは無かった。そして、彼は原爆を完成させながら使用を許可しなかった。
ドイツによるフランス占領後の英軍ダンケルク撤退もイギリスへの温情により追撃しなかった為、34万人もの英軍がイギリスに無事帰還できた(これが英軍反撃の大本になるとは悲劇か)
対照的に、米英露による情け容赦ない日独への残虐行為は何故、批判されないのか。



日本も同じく冤罪を背負っている。支那事変における中国戦線拡大は日本国の意思ではなく、中国による度重なる在留邦人への陵辱虐殺事件や、政府要人へのテロが原因だ。



果たして、本当の野蛮人・蛮族とは一体、どこの民族なのだろうか。
確かに戦争とは、どんなものでも残虐なものだ。日本にもドイツにも凄惨な事件がある。
だが、歴史的見地では、両国の残虐性は近隣諸国に遠く及ばない。
日本人、そしてドイツ人も歴史から学ぶ必要がある。否、学ばなければならない。
それは自虐史観でも悲劇でもない。ただ、そこに在る真実だけだ。



悲しむべきことに両国人の誇るべき美徳も、現代社会の識者からは間抜け、お人好しと揶揄され、反日・反独分子からは相変わらずの野蛮人発言だ。
日本とドイツの冤罪が晴れる時こそ、真の永遠なる世界平和が齎されるのではないだろうか。
歴史に、善も悪も無い。


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