内容:街並みにおけるソフトの日本とハードのドイツ


ドイツの街並みは美しいと言われている。確かに間違いではないが、幻想も混じっている。
日本と同じく戦争で灰燼に帰したドイツは、官民一体の復興活動により戦前以上の町並みを築き上げた。重厚な建物、整然とした並木道は圧巻だ。
対象的に日本の戦後復興は官民が一致団結する事なく官による強制もなく、雨後の竹の子の様に無計画に町が広がっていった。歩道の無い道、乱立する電柱や看板、和洋様々な住宅群。
看板は勿論だが、道路標識すらドライバーを混乱させ景観を損ねるとの理由で減らしているドイツと比べるにあたり、その差は歴然としている。


日独を比較するにあたり、ドイツのハードは確かに最高レベルといえる。だが、ソフトのレベルは最高といえない。
駅はもとより民家の壁にまで、ストリートアートにも及ばないスプレーによる落書きが顕在しており、電車の窓にはコイン傷による落書きが所狭しに広がっている。電車やバスのシートは落書きされても目立たないように、様々な色を散りばめたビニールシートを多用する。
ドイツ製品が堅牢なのは、乱暴に扱われ破壊されないようにする為でもある。その為か、駅構内にある自動販売機もガラス面を鎖格子で武装している。
また公衆トイレが有料との事もあり、男性による立小便は普通に見受けられる。酷い場合は、酔っ払いが駅ホームで用を足すこともある。
ドイツでも公共の場で喫煙が制限されるようになったが、室内を追い出された結果、公道脇のポイ捨てが増え問題となっている。
ゴミは町中至る所に散乱しており、駅構内にはゴミを捨てるなとの標語を載せた公告が至る所に貼られている。
ドイツのゴミ問題については、公共機関が常に公共の場を清掃している現状でマナーが育つとは思えない。
ゴミを公共の場に捨てるドイツ人の考え方は、「公共機関がすぐに綺麗にしてくれるから問題ない。彼らの仕事を奪うことは出来ない。」だが、本末転倒ではないだろうか。


前述したように日本のハードは最悪レベルといえるが対照的にソフト、即ち公共概念やマナーについてはドイツよりも進んでいる。 
公共の場でのゴミはドイツよりも少ない。電車や駅構内は常に清潔で落書きや破壊も殆ど無い。ストリートアートも殆ど無く、落書き事件をテレビや新聞で報道する日本の現状はドイツでは考えられない。もしドイツで同じような報道をしなければならないとしたら、毎日ストリートアート事件を朝から晩まで取り扱わなければならない。
公共による清掃がドイツほど頻繁でないにも関わらず、街中のゴミが少ないのには感心させられる。


ドイツの町と日本の町を人に例えたら、どうなるのだろう。
ドイツは金持ち名士の子で立派な体躯だが、阿婆擦れでだらしの無い子。日本は貧しく品の無い両親を持つ貧相な子だが、真面目で誠実な子。
果たして、どちらが良いのだろうか。