情報格差


現代は格差社会と言うが、実際には経済面における格差ではなく、情報格差が問題となっている。
既存の公共情報媒介が人々に与える影響は計り知れない。今回の秋葉原無差別殺人も、元を正せばマスコミによる報道が原因といえる。勝ち組・負け組、セレブ。マスコミはこれらを過剰に煽り、人々の欲望や不安を掻き立てる。マスコミが正しい鑑識眼を持っていれば別だが、彼等は過激な表現で視聴者や購読者を募る事しか考えていない。
それによって本来は敗者でも弱者でもない情報貧者が、時には人生を悲観し、時には保障を求めるべく叫ぶ。これで正常な報道をしているといえるのか。


マスコミにより頻発しているように印象付けられている自殺や猟奇殺人にしても、マスコミは盛んに、「過激なゲームやアニメが悪い」「インターネットサイトによる自殺方法提示が悪い」と説くが、実際にはマスコミによる過剰な報道合戦が原因といえる。
ゲームやアニメを愛好しない人々の凶悪殺人であれば、普通の殺人として大きく取り扱わない。自殺方法にしても、自殺を考えている人たちはネットで見つけなくても、様々な手段を考える。そもそも、インターネットで自殺方法が提示されているとテレビ報道した場合の影響をマスコミは知っているのか。例えば青木ヶ原樹海にしても、マスコミは好奇心だけで自殺のメッカにしていないだろうか。


インターネットがこれだけ普及した現代でも、未だに真実の歴史、世界情勢、経済情勢が広まらないのはインターネットが一方向の情報媒介ではなく、受け手の選別によるとの事実を如実に表している。更には、インターネットの影響力がマスコミの恐れる程、大きくないとの事も示している。
分かりやすい例として、竹島問題が挙げられる。この問題が日本人の間で論議されないのは日本のマスコミが騒がないからであり、韓国中で騒がれるのは韓国のマスコミが執拗に報道するからに他ならない。
昭和初期の津山30人殺し事件も、阿部定事件に衝撃を受けた少年による同じように世間に名を残したいとの売名行為に過ぎなかった。情報社会が今ほど発達していない時代でさえ、影響を受ける国民がいたのだから、今の世の中は言うまでもない。


マスコミが成長しない限り、民衆は愚鈍な家畜となるだけだ。マスコミが家畜である限り、民衆がそれ以上の存在になる事もない。今、一番問題にすべき事象は国内景気でも、所得格差でも、年金でも、犯罪でもない。それらも国際情勢の均衡が崩れれば、日本国家が崩れれば藻屑となる。今、問題にすべきは中国や韓国の民族主義歴史認識、中国やロシアの天上知らずの軍事力増強、アメリカの覇権主義だ。
それともマスコミは国民の不安をミクロに収めさせ、大局観を鈍らせようと努力しているのだろうか。それならそれで、米中露、韓国、北朝鮮にとって願ったり叶ったりか。


マスコミは愚鈍な家畜なのか、それとも巧妙な他国の工作員なのか。
両者が混在しているのが、今のマスコミなのかもしれない。