増殖する中華思想

三星堆遺跡出土品



中国人の我に法有りとの自己中心的思考や差別的儒教思想は、中華思想に追う部分が大きい。
中華思想は、人類が是が非でも撲滅すべき悪しき思想に思える。
中国は民主化すれば変わると思う日本人も多いが、実際には中華思想が残る限り、有り得ない。現実に今の中国は共産主義ではなく、一部の特権階級が強大な国家権力を握る独裁国家に過ぎない。共産党一党独裁が終わっても、新たな独裁国家が生まれるだけだ。


中華思想に和の精神のような平等な世界観はない。あるのは激烈な差別思想だけだ。それが巨大な権力を生み、格差を生み、偏見を生み、争いを生ませる。だからこそ、膨張能力が高い。
今の中国に蔓延る反日思想も元を辿れば、日本を夷狄として見下す事によって、自身の不遇な環境を満足したいとの中華思想に過ぎない。


だが現在、中華思想を拠り所とし漢民族と呼ばれている人々も、漢王朝時代の漢民族とは全く異質な民族に変容している。中国は、強烈な差別を受けていた民族が漢民族を支配し、最終的には自民族も中華思想主義者の一員となる歴史を繰り返している。
アメリカの東洋学者・ウィットフォーゲルが異民族による征服王朝を遼・金・元・清と定義したが、史実における最初の殷王朝を漢民族の王朝とすると実際には、ほぼ全ての王朝が異民族による征服王朝となってしまう。
中国の歴史を単純に異民族と漢民族に分けてしまうと、本当の中国が見えなくなる。
以上を踏まえて、中国の民族興亡史を紐解いてみたい。



三星堆遺跡(長江文明)出土品


考古学においての中国最初の王朝・殷(前16世紀頃〜前11世紀頃)を滅ぼした周(前1050年頃〜前256年)の故地は陝西の山岳部で、彼らは山岳部族、つまり西戒・夷狄だった。
もっとも、殷ですら西方から来た遊牧民族だったとの説がある。


周を滅ぼした秦(前771年〜前207年)は最初、甘粛にあり、当時の中原諸国からは西戒・夷狄とみなされていたが、東進し中原諸国を滅ぼし中国統一を果たした。


その秦も漢(前202年〜220年)に滅ぼされるが、漢の初代皇帝である高祖は江蘇省沛県の出身だった(胡錦濤江蘇省出身)。
同地域は中原の黄河文明とは全く異質な長江文明を有しており、中原からは南蛮と蔑まれていた。彼らは体に刺青をしており、民族的風習は古代日本に似ていたという。
つまるところ、漢王朝も当時の尺度で考えれば異民族支配王朝だった。華南が漢化されるのは後の時代、12世紀に華北が異民族王朝の金(女真族)に支配され南宋華北から漢民族難民が大挙して流入して以降だ。


その後、三国志時代を経て、五胡十六国時代(4世紀初頭〜5世紀初頭)及び南北朝時代(420年〜589年)になるが、この時代に多くのモンゴル系やチベット系の異民族(匈奴鮮卑・羯・氐・羌)が中原になだれ込む。


そして、隋(581年〜618年)となるが、初代皇帝の文帝(陽堅)は鮮卑人の独孤氏である母を持つ混血児で、自らも鮮卑風の服装や文化を好んでいた。


隋が滅び、唐(618年〜907年)となるが、初代皇帝・高祖(李淵)は鮮卑族武将である李虎の孫とされている。


その後、五代十国時代(907年〜960年)になるが、多くの異民族国家が乱立する。中でも突厥の勢力が強く後唐後晋後漢の創設者は全て突厥沙陀部の出身者だった。


五代十国時代に終止符を打った宋(960年〜1279年)だが、宋の前進である後周は、突厥族国家・後漢の皇帝側近であった郭威が後漢皇帝殺害の混乱時に乗じて建てた国。
宋自体も後周の皇帝側近であった趙匡胤が、皇帝に禅譲させ帝位に就き建てた国だ。
宋は、突厥族系指導者の内部権力争いの結果、生まれた国であり、系統的にも突厥族が建てた後漢に辿り着く(後漢→後周→宋)。


宋の後、中国統一を果たした元(1271年〜1368年)は言うまでもないが、モンゴル人の建てた国家だ。


そして明(1368年〜1644年)となるが、中国史の中で例外的に華南から発生した統一国家であり、もはや中原を中心とする中華思想は通用しなくなっている。最後の漢民族王朝と称されている明が、過去の歴史から見ると夷狄に入るとの現実には、物悲しいものがある。


最後の中国王朝として北狄・夷狄の満州族清(1636年〜1912年)を建国する。


※中国年表


中国の標準語である普通語を話さない客家こそ、中原にいた原漢民族だというが、今では中国人口の僅か4%に過ぎない。
歴史を鑑みると漢民族という表現は虚空であり、純粋な漢民族政権国家は存在しなかったとの結論になる。要は勝てば官軍ならぬ、勝てば漢民族(中華思想主義者)なのだろう。
中国人口の93%を占める漢民族にとって、民族の血筋など本当はどうでも良いのかもしれない。だからこそ、唯一の心のよりどころでもある中華思想が自身のアイディンティティになる。
チベット問題やウイグル問題は未だ燻っているが、チベット人ウイグル人中華思想に染まるしか解決方法は無いのだろうか。


韓国・北朝鮮は有史以来、中華の属国(属領)であったにも関わらず、この悪しき中華思想に染まってしまっている。だが、日本は染まってはならない。日本には和の精神という素晴らしい伝統がある。それは、台湾が証明している。強烈な差別と弾圧による平和と、博愛精神による平和。どちらを選べば良いか。答えは言うまでもない。
しかし、博愛主義である和の精神が、自己中心主義の中華思想に利用し尽くされ潰されるのも目に見えている。日本の善行を悪行に変える中朝韓の歴史修正や、中国共産党に壟断される日本企業の何と多いことか。


来るべきアジアの共栄共存社会において中華思想は必要ないし、中華思想が残る限りアジアに共栄共存社会は生まれない。
蝗のように増える悪しき中華思想を、如何にして撲滅させるか。それには最早、分裂以外に方法はないように思える。
その時になってやっと和の精神も拡散し、中朝韓と日本は和解するのかもしれない。乱世を止める術は、和の精神にこそ在り。


最後に、台湾人の楊素秋女史が著書『日本人はとても素敵だった』に残した言葉を紹介してみたい。

台湾には「日本精神」という言葉があります。日本精神というのは立派なものです。桜の花のようです。非常に綺麗に咲いてサッと散るのです。だから、日本精神を宿す人は自分の間違いは「ごめんなさい」と謝れます。
ところが、シナ人は謝れません。そして、理屈を言うのです。百も二百も事故弁解の言葉を並べ立てます。そして、出来るだけ相手が悪いと言います。たくさんの言い訳で自分を守るのです。


昔の日本人の先生は、もちろんこの日本精神で接してくれました。だから、私達も多少なりともその日本精神というものに染まっているのです。もっとも、だから台湾人は騙されやすいのでしょう。自分が本当のことを言うから、相手の言うことも全部本当だと信じ込んでいるからです。
我々はそういう日本教育を受けたのです。だから、後で外来政権が連れてきた大陸の人と接触する時には、とても分が悪いのです。こちらは正直なことを言っているのに、相手は嘘を言う。それを知らずに信じて、いつも損をしているのです。


※当日記内:未来予想としての中国帝国主義


※当日記内:否定する中国


※当日記内:日独米中の国民性


※当日記内:清朝末期と今の中国


著者: 楊素秋
出版社: 桜の花出版星雲社
サイズ: 単行本
ページ数: 283p
発行年月: 2003年12月
本体価格: 1,300円 (税込 1,365 円) 送料別


【内容情報】(「BOOK」データベースより)

こんなに日本を愛してくれる人たちがいるだろうか…日本人であることを誇りに思い、日本人として生きた台湾人女性が証言する、当時の日本人像。終戦まで日本人として生きた台湾人著者からのメッセージ。


【目次】(「BOOK」データベースより)

第1章 命の恩人は日本人/第2章 日本統治時代/第3章 素晴らしかった日本教育/第4章 優しい日本の兵隊さん/第5章 戦後、中国人がやって来た/第6章 日本人よ、しっかりしてください/第7章 想い出は永遠に…


【著者情報】(「BOOK」データベースより)

楊素秋(ヨウソシュウ)
日本名、弘山喜美子。昭和7(1932)年、日本統治下の台湾、台南市生まれ。弘明電気商会を経営する父:弘山清一と母:敏恵のもと、二男三女の二番目(次女)として生まれる。台南師範学校附属国民小学校、長栄女学校(中学、高校)卒業。日本をこよなく愛した父の影響で、日本人と自覚して育つ。今も、思考する時も、寝言も日本語。日本と台湾の架け橋の釘1本となりたい、と、貿易、通訳、日本語教師など、多方面で活躍している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)