マナーと文化


日本人もドイツ人も公共マナーに関してうるさいが、両国を行き来するとドイツに対する日本人の幻想や、マナーにおける両国の矛盾点が分かってきて面白い。


ドイツの電車マナーと一つに纏めても、実際には北部と南部、西ドイツと東ドイツ、都会と田舎で違うが、都会の地下鉄におけるマナー概念は総じて低い。


ドイツでは親と同伴の7歳未満の子供は無料であり、子供は大人に席を譲るのが原則だが、知ってか知らずか込み合う中でも子供と一緒に臆面も無く我先に座る親も多い。


電車内のゴミ散乱も日本では考えられない。ドイツに来て最初に驚いて以来、頻繁に眼にするが、ビール瓶や空き缶が電車の床をコロコロと転がる光景は、日本人の幻想を打ち破る。
ドイツ人は市内電車でも飲食をするが、ビールをちびちび飲む人も多い。ビールの空き瓶は電車内の小さいゴミ箱には入りきらないので、飲み終えると必然的に置きっ放しになり、結果として電車の振動で落ちるからだが、環境大国は何処に?といったところか。


車内窓ガラスへのコイン傷も尋常ならざるレベルで、外の景色が分からないほどコイン傷の文字で埋まっている窓もある。


ここまでは明らかに問題点だが、音に対するマナー概念は日独で趣を異にする。
中でも、携帯電話に対するドイツ人の寛容な態度は、日本人には考えられない。
ドイツではマナーモードをするのは映画館くらいで、電車内でマナーモードにする人は居らず、規則も存在しない。
故に車内は電車の走行音を打ち消すかのような、けたたましい着信音と大きな声が充満する。
こういった世界に慣れてしまうと、日本に一時帰国した際、ついつい電車内で小さい声ながらも電話をしてしまう。直ぐに車掌から忠告を受ける事となるが、矛盾も感じる。


日本の街中は煩い。駅構内に至っては異様な信号音とパチンコ屋さながらの下品な構内アナウンスが息を継ぐ間も無く流れている。しかし、電車内は清潔で静かな高級ホテル宛らだ(満員電車は別として)。
対照的にドイツは街中の音に対し非常に敏感で、大きな音といえば教会の鐘の音位。駅構内でのアナウンスは皆無に近い。しかし、電車内は熱気あふれる居酒屋さながらだ。


これらの違いを目の当たりにすると、そもそもマナーとは何ぞやと考えてしまう。そして、マナー概念で他国と自国を比較して講釈を述べる行為は、他文化や自文化への無理解や誤解が原因な場合もあると分かってくる。
ドイツはマナー先進国で日本はまだまだと言う人も多いが、そうでもない。日本もドイツも自文化の範囲内ながらマナー概念を等しく育てており、マナー概念の浸透に躍起になっている。


しかしながら昨今では、日本の伝統マナーが軽視されがちだ。それは、相撲や柔道等の伝統スポーツでも分かる。感情を抑えて敗者への敬意を払ったり、負けたとしても素直に勝者を称えるのが日本の武道でありマナーだが、あからさまに歓喜したり憤慨するスポーツマンも多い。
確かに、諸外国では喜びや悔しさを表すのも一種のマナーかも知れない。しかし日本では、前述した伝統スポーツのように逆の場合もある。


他国と比べ自国マナーの粗捜しをするよりも、自文化の範囲内だとしても良い面を守り伸ばしていけば、それで良いのではないだろうか。郷に入っては郷に従え。マナー概念もまた文化の一面なのだから。