エコって何ぞや

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トヨタ新型プリウスの受注が好調なようで、同じハイブリット車であるホンダ・インサイトプリウスに続いている。日本企業の技術力も凄いが、世界恐慌の最中でも200万円を軽く超える車が飛ぶように売れる日本経済は更に凄い。


そんな日本企業の技術を虎視眈々と狙っている国がある。
我独尊の中国だが、外国企業に対しIT(情報技術)ソースコード開示強制を強行する制度が5月に発足される。トヨタもそろそろアメリカや中国以外の市場を開拓しなければ、貧乏くじを引きかねない。中国は巨大市場と言われるが、たかだか10数億人。それも裕福層の数はインドと同じ。世界には60億人以上もいるのだから、中国の様なリスクが高いだけの市場で自分の企業だけならまだしも、日本の将来まで崩壊させる必要は無い。


中国、IT商品のソースコード開示義務付けへ 世界が猛反発 2009.4.25 産経新聞

 中国政府が日本に対し、中国国内でIT(情報技術)関連商品を販売する際、ソフトウエアの設計図など詳しい情報の提供を義務付ける「強制認証制度」の導入を通告してきたことが24日分かった。一昨年8月に中国が導入方針を表明して以来、日米欧は反対してきたが、中国側は今回、5月1日までに制度の内容を公表して導入を強行する姿勢をみせている。日本などの関係業界は知的財産権保護などの観点から強く反発しており、日本は世界貿易機関WTO)への提訴も辞さない構えだ。(以下略)


エコ追い風、プリウス50万台生産へ 受注好調でトヨタ 2009年4月25日 asahi.com


エコが追い風?エコだから消費者は買っているのだとしたら、日本人の環境意識は高そうだ。エコというよりもガソリン代を節約したいだけでは?そもそもエコの定義とは何ぞや。


最近は便利なものでドイツでも日本のテレビが見られるけど、TV番組もTVCMも嫌気が差すほど“エコ”だ“エコ”だと叫んでいる。
“エコ”が世界標準と思ってしまうけど、環境大国と言われるドイツでは殆ど耳にしない。TV番組もTVCMもエコロジーだからどうたらとの話は無い。だから余計に日本の“エコ”が耳にエコーする。
ドイツが本当の環境大国かどうかは疑わしいけど、ドイツでさえこの有様だから他国は言わずもがな。“エコ”は世界標準でもなんでもない日本だけのブーム。
ドイツもそうだけど、欧州に限っていえば途上国への援助や環境保全が目下最大の関心事項。“エコ”の標語は二の次三の次。それでも確かに“エコ”はある。BIO(無農薬)食品やディーゼルオイルはOEKO(エコ)だOEKOだと叫んでる。でもそんな程度。
“エコ”を売り物にしている電化製品なんて見たこと無い。でもドイツ人はケチだから省エネには関心有り。消費者はAからGにランク付けされている電化製品のエネルギー消費量を気にしてる。
ドイツは環境大国であり、エコ大国ではない?じゃあエコ大国は日本?なんだか“エコ”の定義が余計に分からなくなってきた。



日本の先端技術は世界一進んでおり、京都議定書に代表されるように環境保全に対する認識も非常に高いが、付随するように過当競争も激しい。

エコロジーはドイツの生物学者ヘッケルが提唱した新語。語源はECO(環境)とLOG(学問)の合成語で、日本語では生態学と訳されている。
現代は語源とかけ離れつつあり、簡単にいえば「生態バランスを保つ術を人間の社会経済システムに適用する」との意味になっている。要は、「経済システム」が新たに付け加えられた訳だ。


途上国はエコどころではないから話題が少ないのは仕方が無いとしても、ドイツは環境大国なのに何故、日本人のように“エコ”を叫ばないのだろうか。
それはドイツ人の生活を垣間見れば理解できる。“エコ”が叫ばれる前から彼らはエコロジーを実践していた倹約家なのだから叫ぶ必要が無い。倹約振りを知るには、水の使い方を見るのが一番分かりやすい。食器洗い機にしても洗濯機にしても、水は殆ど使わない。食器洗い機が無い場合も日本人のように大量に水は出さないで、チョロチョロと出す。もしくは桶に水を溜め、少量の洗剤を浸すだけ。料理に皿を大量に使う事がないから皿洗いも週に一回、洗濯は所帯持ちでも二週間に一回か二回、風呂は入らずシャワーだけ。これらを鑑みると確かにエコといえる。


今でこそ日本はアメリカと並ぶ大消費国家だが、昔は違った。江戸の町は世界一のリサイクル社会だったとの逸話からも窺い知れる。
世界と日本の“エコ”に対する概念の相違、更には江戸時代の日本と現代日本を比較するにあたり、現代日本の“エコ”は本物のエコではなく、過当競争にエコが利用されているだけとの現実が分かってくる。


ねえ、消費を減らさないで「エコ」ってできるの?〜『偽善エコロジー』 武田邦彦著(評:朝山実):日経ビジネスオンライン

(以下、抜粋)
 「レジ袋」が廃止され、エコバッグの利用を推奨される。レジ袋はゴミ袋として重宝していたのに、新たにゴミ袋を買わなきゃいけない。しかも、人気 のエコバッグはおしゃれすぎて、余計なものを売りつけられるニオイがしてならない。そうした疑問に対して本書はこう答えている。
〈多くの人は「レジ袋を減らした分だけ石油の消費量が減る」と錯覚していますが、石油の成分は一種類ではないので、他のものも同時に減らないと効果は上がりません〉
 もともとレジ袋の原料に使われている石油の成分は、ほかに使い道がなく燃やしていたもの。化学技術の向上で、「廃品」を有効利用できるようになった。だから「環境のため」にレジ袋をなくしてしまうと、昔に逆戻り。ムダに石油を燃やさなければならなくなる。
 100%コットン素材のものならともかく、おしゃれなエコバックの多くは、これを作るために石油の貴重な成分を使うことになるという。
 米国が推し進めようとする「バイオエタノール」に対しても著者は懐疑的だ。


現代日本の“エコ”は本来のエコとは違う商業主義に躍らされた“エコ”。“エコ”は金儲けのエゴだと誰が最初に言ったか知らないけど、言いえて妙。
日本人は、外来表現のエコを誤って解釈するよりも都合よく解釈するよりも、誇るべき日本の姿を知る必要があるまいか。なまじ意味の分からない言葉を使うから勝手な解釈や誤解が生じる。そして知らず知らずのうちに意味も分からないまま“エコ”信者になる。


ザ仰天!エドロジー


既出だけどエコロジーではなく、「エドジー」がピッタリくる。江戸路地といえば、江戸の路地は下水も完備され糞尿は肥料として売られ下水にも流されなかったから、当時のどの世界の町よりも綺麗で衛生的で環境にも優しかった。厳密には江戸学になってしまうけど語呂もいい。
江戸の町自体が真の「生態バランスを保つ術を人間の社会経済システムに適用する」に当て嵌まっているから、あながち間違いじゃない。



日本下水文化研究会




当日記内:江戸時代と李氏朝鮮時代における民族気質