自虐史観映画が訴えるもの



靖国神社・パール博士顕彰碑


最近、大東亜戦争関連の映画が多くなったが、自虐史観に基づいたものが多い。
自虐史観映画を観ていると、共通したロジックに気付く。

  • 日本は最初から負ける戦争をしていると、殆どの国民は分かっていた。


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  • だから、戦争で死ぬのは無駄死にでしかない。国民を刈りだした国家が悪い!


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  • 戦争は悲惨だ!戦争反対!!国家の為に戦うのは馬鹿だ!!!


このロジックには“当時生きていた人々の価値観”という大本が、完全に抜けきっている。


大東亜戦争映画に必要なのは、現代人の価値観ではない。当時の人々が何故、必死で戦っていたのか、自虐史観に囚われた現代日本人には理解できない。


「日本は最初から負ける戦争をしていると、殆どの国民は分かっていた」についてだが、所詮は岡目八目であり、例えば百年後、日本が中国の自治区となり、チベットウイグルと同様に独立闘争中の日本民族が「百年前の多くの日本人は、日本が中国の属領となる事を知っていた」「百年前、中国賛美で国民を騙していた民主党政権が悪い」と論じるのと同じで、何の説得力も無い。もっとも、その前に中国が崩壊する可能性もあるが、何れにしても多くの現代日本人は預言者ではないから、百年後に生きている人々の理論は想像できない。
話を身近な個人に例えても同じといえる。後悔だけなら誰でも出来るが、後悔もしないで何も行わないなど論外ではないだろうか。会社を興すのも同じだが、誰も最初から後悔すると思って事を起こしたりはしない。


考えてほしい。仮に日清戦争日露戦争が日本の敗北に終わっていたら後世の人々はなんと言っていただろうか。
たぶん、「日本の26倍の面積を持ち10倍以上の人口を持っていた中国歴代王朝は、長きにおいて東アジアの宗主国であり中心だった。それほど強大で偉大な清国に挑んだ日本は夜郎自大であった」「白人国家の大国であり、戦力が日本の二十倍もあるロシアに挑んだ東洋の小国・日本。当時世界最強のバルチック艦隊に挑んだ日本連合艦隊は壊滅した。日本の敗北は、当時の世界の人々誰もが予想していた」とでも言われていただろう。
しかし、歴史は違った。


ベトナム戦争や、大東亜戦争後のアジア開放戦争も同じくだが、戦争は必ずしも大国が勝つわけではない。
この点においては、現代日本人よりも連戦連勝・負け知らずの戦前の日本人の方がよく理解していたことだろう。
もっとも、当時の日本は竹やりでアメリカと戦ったわけではない。日本は五大国の一国であり、アメリカに次いで世界第二位の海軍力を誇る大国だった。むしろ、明治時代の日本が清国やロシアと戦うよりも、楽だっただろう。


歴史にifを持ち出すのは愚行かもしれないが、日本は中国だけではなくアメリカにも勝てた。中国においては勝ち進んでいたが、アメリカに負けたが故に武装解除させられた。
ミッドウェー然り、ガダルカナル然り、インパール然り、日本軍が失敗したのは高級将校が頭でっかちになったのが要因だが、問題は局地戦ではない。
キーポイントは大局的見地にあった。
第一に、支那事変を国民党政府の首都であった南京陥落時点で蒋介石と妥協し終結すべきだった。これにより、満州関東軍の軍備増強も出来たし、日本国民に対しても示しがついたはずだった。
第二に、真珠湾攻撃を後回しにし、オランダの植民地であった石油地帯・インドネシアを最初に攻略すべきであった。米国はルーズベルトの選挙時に戦争に参加しないとの公約を掲げており、米国民も他国(欧州)の戦争に介入すべきではないと思っていた。仮に公約破りをしたら、米国民から猛烈な批判を受けてしまう。故に、日本から米国に対し戦争を起こすように仕向けなければならなかった。オランダの植民地を一つ奪ったところで、米国世論が戦争に向かうことは無かった。
アメリカと戦うのはその後だろうが、国力を増した日本は来るべき対ソ戦に備えてアメリカと同盟を組んでいたのかもしれない。


当時の天皇陛下に権限が無かったのは言うまでも無いが、当時の政府は嫌々ながらも、マスコミや民意にそって戦争に突き進んだと言っても過言ではない。
では何故、国民が意気揚々とアメリカや中国との戦いに挑んだのだろうか。開戦を喜んだのだろうか。


日本が両国と戦争を始めたのは、両国の日本国及び日本人に対する行き過ぎた差別と、あからさまな挑発が原因だった。
南京事件・盧溝橋事件・通州事件等、中国在留邦人に対する度重なる陵辱虐殺、日本軍に対する中国軍による挑発行為。中国に居座る方が悪いという御仁もいるが、当時の日本軍は国際法に則って合法的に駐屯しているのであり、ましてや在留邦人は民間人だ。今で例えるのであれば、在日米軍やその家族に対して、自衛隊や日本人が攻撃や虐殺をするようなものだった。仮に今の日本で同じことが起こったらどうなるのだろうか。日本は米軍から総攻撃を受けても文句は言えない。


アメリカは中国利権欲しさに、日本への石油を止めた。更には、数々の人種差別的な日本人移民に対する政策は日本人を激高させた。これら仕打ちに対して、正義感の強い日本人が黙っている所以は無かった。
それでも、日本政府は和平交渉を止めようとはしなかった。しかしながら、マスコミを始めとする多くの国民の声は違っていた。多くの国民は、弱腰の政府に対して業を煮やしていた。
国民の反応は、至極当然だった。仮に現代、海外の日本人が不当な差別と排斥を受け、更には虐殺や収容所送りまでされて、黙っていられるだろうか。
鬼畜米英(鬼・畜生なアメリカ・イギリス)、暴支膺懲(暴虐な中国を懲らしめよう)とのスローガンが出るのは、米中の日本や日本人に対する数々の不法行為からすれば至極当然であった。短絡的に、無意味な憎しみを表現している訳ではない。


「国家の為に戦うのは馬鹿だ!!!」についてだが、当時の人々は“国家”即ち、お国や天皇陛下の為だけに戦っていたわけではない。お国や天皇陛下の為と等しく、家族や愛する人々を守る為にも戦っていた。天皇陛下は国家でもあり、家族でもあり、更には本当の家族も友人も天皇陛下や国家と一心同体だった。三位一体ではないが、重要な理論が現代日本人には理解されていない。


具体的な映画を事例に出してみたい。
“僕は、君のためにこそ死ににいく”や“男たちの大和”は自虐史観映画と異なり愛する人の為に戦うとの思いが伝わり分かりやすいが、それ以上に悲惨さが強調されすぎている向きがあり、自虐史観映画と同じとも言える。


新たな新境地ともいえるが、テレビ朝日製作“真夏のオリオン”においては死の恐怖すら払拭したゲーム感覚の映画になっている。プロイセン将校のクラウゼヴィッツは、戦争論の中で「戦争は他手段における政治の継続に他ならない」と述べているが、テレビ朝日は「戦争は他手段における男と男のゲームの継続に他ならない」とでも言いたいのだろう。
そもそも、戦争映画を国境を越えた友情やロマン、恋愛で語る行為は戦争美化にならないのだろうか・・・。


自虐史観が蔓延っている日本において、ある程度の啓蒙映画は必要と思われる。
かといって、捏造に捏造を重ね、過度に日本軍を悪者に仕立て上げた反日戦争映画を作製している中国や韓国の真似をするのは日本人として許せないだろう。
もっとも、当時の中国兵やアメリカ兵が、軍規や道徳を重んじる日本軍とは対照的に残虐だったのは真実ともいえる。


中国人は中華思想アメリカ人は白人優越思想により、捕虜である日本軍兵士の扱いは壮絶を極めた。アメリカは英語が多少分かる日本兵は生かし、それ以外の日本兵はその場で虐殺してきた。中国は更に酷く、想像を絶する肉体に対する拷問で甚振り死に至らしめる。
対照的に日本は有色人国家として世界から認められなければならないとの理由と、皇軍の名を汚さない為に、捕虜に対しても人権を重視していた(捕虜に餓死者が出た地域は、日本軍も同じく餓死している)。
日本の場合は、捏造抜きでアメリカや中国を残虐非道国家であると映画で表現できるが、例え事実だとしても、アメリカや中国から批判を受けるだけなのも事実だろう。


歴史を紐解くと悪いのは日本ではなく、中国やアメリカとの真実に気付く、しかし、日本においては、無益な怒りや憎しみを増徴させる事よりも、当時の日本軍人や日本人、即ち我々のご先祖様が如何に素晴らしく誇るべき存在だったかを伝える方が重要と思われる。
どちらが悪いとの次元の低い話題で、利益をせしめようとする行為が如何に虚しいものか日本人なら理解できるだろう。


当時の日本人及び日本軍人に共通の理念として“身代わり精神”が上げられる。彼らはどんな状況でも、愛する人を守り通そうとした。


悲惨さが一人歩きせずに心に染み入る大東亜戦争映画は少ないが、それでも存在する。
明日への遺言”は元東海軍令・岡田中将が米軍捕虜処刑の罪という国際法上有りえない罪に問われながらも、罪を一人で背負い正々堂々と正論で裁判に挑み、米軍の無差別空爆を批判したとの内容だが、日本人たるものの誇り高い精神が理解できる(冒頭で日本軍による空爆も紹介されたが、日本軍による空爆とされたものが、実際には蒋介石軍による自作自演の空爆だったり、重慶は民間施設をターゲットに指定していなかったりと、日本軍による空爆は米軍による空爆とは雲泥の差があるとの真実を知らないのは悲しかったが)。
映画“南京の真実”も同じくだが、東京裁判が滅茶苦茶なだけに、日本人が如何に正しかったかがよく分かる。


硫黄島からの手紙”はハリウッド映画であり、多少の米軍美化は仕方ないとしても、米軍が日本軍捕虜をその場で殺していたとの事実を描写したのは、素直に評価すべきか。
硫黄島の戦いが熾烈を極めるのは日本軍部首脳陣も分かっていた。故に彼らは、米軍が攻めてくる前に島民を本土に送った。民間人を巻き込んではならないとの日本軍人の思想は、硫黄島からも分かるが、多くの離島でも同様な帰還作戦が行われていた。


パラオもその一つだが、以下の動画でも、日本軍人の精神がよく現れている。
仮に映画化されたら是非に、観てみたい。




真実を積み重ねてみると、如何に沖縄集団自決が捏造で固められているかが分かる。
現代日本人は誇り高い先祖を足蹴にして、何を得ているのだろうか。恥ずべき先祖を捏造により敬っているアメリカや中国と比べるにあたり、現代日本が如何に罪深く狂っているかが分からないだろうか。
戦争の悲惨さを伝えるだけでは何も残らない。かといって戦争賛美は論外だ。後世に語り継ぐべきものは何なのか。日本人は、考えていかなければならない。


当日記内:歴史はこうして捏造される 2005-6-20


当日記内:沖縄戦集団自決における日本軍としての強制の有無 2007-03-31


失敗の本質 日本軍の組織論的研究 [ 戸部良一 ]



先の大戦で無くなった全ての方々に黙祷を捧げます。