戦後思想、戦後体制の崩壊



ハンブルクの日本庭園

ドイツに夏がやってきた。連日25度前後の気温が続き、4月のドイツは日本よりも暑い。春のないドイツだが、今年も5月に寒の戻りがやってくるのだろうか。


東日本大震災の損失額は阪神大震災の9兆6千万円を遥かに上回り、最大で25兆円程度と予想されている。更には、福島原発問題もあり、大東亜戦争の敗戦に次ぐ痛手を日本は被っているが、民主党政権は右往左往するだけで、解決の糸口を見出していない。


このような状況下で、日本人が既存の価値観や体制に対し疑問を投げかけるのは当然の流れだが、民主党という極左反日政権に対し革命やクーデターが起きないのは日本国内に本当の意味での保守・右翼が存在しない故か。
数年前に話題になったアメリカ発の政治思想診断・ポリティカルコンパスでは、日本国内で右翼と呼ばれている者でさえ、リベラル左翼と判断されるのだから、あながち間違いではない。


価値観や体制への疑問は、大転換期には付きものだ。敗戦や革命などの大きな事象の後には、新政権によって前政権や前時代が否定される。明治政府は自己正当化のため、江戸時代を民衆の暗黒時代として扱った。江戸時代の見直しは薩長を中心とする藩閥政治が終焉した1924年護憲三派内閣成立まで待たねばならなかった。
その後、日本はアジア諸国と共生し欧米列強を駆逐する使命にかられ、大アジア主義、そして大東亜共栄圏構想に邁進するのだが、戦後は周知のとおり戦前日本を悪逆非道国家とすることによって、戦後日本を正当化した。


勤勉で協調性が高い日本人は、どんな政策であってもやり遂げる。戦後日本は、アメリカによる“ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム大東亜戦争では、日本が悪かったと洗脳する計画)”によって、日本人の美徳である和の心、即ち、献身的な助け合い精神を軽視し、経済至上主義、拝金・個人主義反日の道をひた走ることになった。
結果、平和や平等の美名のもと極左思想が台頭し、自己主張が蔓延し人々は内ゲバのように裏切り合い、家族すら守れない世の中になってしまった。


今、最も影響を受けた団塊世代が、日本社会の中枢となっている。
民主党はその集大成といえる。元ベ平連全共闘の菅を中心に極左思想の社会党残党や、反日思想の朝鮮系帰化人、更には拝金個人主義の小沢派が民主党内で大手を振るっている。


戦後日本社会が吐き出した菅は、此度の震災でも人災ともいえる不手際を垂れ流している。


「菅」という人災が東北つぶす!責任転嫁の“乱立会議”機能せず 2011.04.15  - ZAKZAK

菅直人」という人災が、東日本大震災で受けた日本の傷口を、さらに広げている。復興の青写真を考える「復興構想会議」(議長・五百旗頭真防衛大学校長) の初会合が14日に開かれたが、菅直人首相(64)が震災後に次々に乱立させた「本部」や「会議」によって、政府はすでに混乱状態だ。不要な会議が組織を 弱体化させるのは、サラリーマン社会では常識。「首相交代で政治空白を作るべきではない」との声もあるが、もうそんなことは言っていられない。日本は一刻 も早く、菅直人という“がれき”を除去するべきだ。
(以下略)


政権による政治的人災 (櫻井よし子) 2011.4.13 産経新聞

(抜粋)
原発放射線との闘いで、菅政権は後退に次ぐ後退である。第一の理由は事故の実態を正確に読みとることができなかったことにある。正確に事態を把握できない限り、事態の解決はあり得ない。その意味で今回の原発事故の本質は菅政権による政治的人災である。


政治的人災は現在も続き、日本の国益を蝕(むしば)み、日本の未来の可能性を削り取りつつある。世紀の事故となったこの原発惨事に関して、正確な情報を出 し得ていないことが、日本に対する内外の不信を必要以上に高めている。チェルノブイリの事故に並べられ、技術立国としての日本の評価も傷つけられつつあ る。


両手を腰にあて知事にお辞儀 菅首相「マナー違反」か腰痛か 2011/4/22 J-CASTニュース

(抜粋)
県庁内で待っていた佐藤知事と顔を合わせた菅首相は、なぜか両手を後ろに回し、腰にあてたまま佐藤知事に話しかける。そして冒頭の言葉とともに深々とお辞儀をしたのだが、両手は相変わらず腰を押さえたままだ。一方の佐藤知事は直立姿勢だったので、首相の格好が奇妙に映った。


お辞儀といえば、社会人として基本的かつ大切な対人マナーのひとつだ。各種のビジネスマナーガイドを見ると、軽い会釈や客の送迎時から冠婚葬祭、お詫びのときなど多くの場面でお辞儀する必要があり、パターンも変わってくるようだ。菅首相の訪問は「謝罪」とは言えないまでも、国のリーダーとして福島県や県民に不便を強いている点で「お詫びに来た」とも考えられる。


そうであればお辞儀の仕方は、最も丁寧でなければならない。その際お辞儀は「前方に45度」体を傾け、手の位置は、「前で重ねるか、体の側面に伸ばしておく」のがポイント。「腰に手を当てて」というのは「マナー違反」だ。




本音が顔に出ていないだろうか。人としてどうかと思うが、この人物を日本人として認め、更には総理にまでしてしまった民主党支持者は恥を知る必要がある。
最も、第一に頭を垂れるべき相手は日本国民だったのだが、菅はそれすら思いつかない。


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今後も総理の座にしがみつき、史上最悪の指導者として日本史に名を残すか、それとも、国が滅びる前に大政奉還をした最後の将軍・徳川慶喜のように解散総選挙議員辞職するか。菅に残された道は二つしか無い。
今までの売国行為を反省し、日本の将来を憂える気が少しでもあるならば、道は一つしか無い。


復興のための法案すら未だに成立できず、自己弁護と自己保身にばかり懸命な民主党議員たち。
対照的に、厳しい環境の中でも冷静に秩序を守り助け合いながら暮らしている被災者の方々は、戦前まで大切にされた日本人の美徳を蘇らせた。


受け継ぐべき精神は、戦後に植えつけられたものではなく、戦前のものだったと多くの日本人が震災によって気づきつつある。
東日本を起点とし、戦後に生まれた悪しき思想が一掃され、日本人の美徳が復活する日も近い。


戦前の経済水準に戻った1956年の日本、経済白書に書かれた「もはや、戦後ではない」は、たちまち流行語となった。当時は経済面での戦後終決を意味していたが、2011年は精神面においても、「もはや、戦後ではなくなった」。
今、私たちは、あらゆる分野において“震災後”という新たな世界へ足を踏み入れようとしている。


そんな中でも、未だに戦後を引きずっている輩が存在している。


「日独決議は事実誤認」平沼氏代表の日本会議が本会議の採択退席を呼びか 2011.4.22 産経新聞

日本とドイツの交流開始150年を記念した「日独友好関係の増進に関する決議」に対し、「日本会議国会議員懇談会」(会長・平沼赳夫たちあがれ日本代表)が、同会に賛同する衆院議員に対し、本会議退席を呼びかけていることが22日、分かった。
  決議では日本とドイツの両国が「1940(昭和15)年に同盟国になってから各国と戦争状態に入り、多大な迷惑をかけた」とある。同懇談会では、両国の友 好増進にそうした過去の歴史認識は必要なく、「むしろ、東日本大震災でのドイツの災害支援に謝意の文言がひと言もないことが異常だ」と主張。先の大戦に突 入した時期についても、ドイツは実際には1939年のポーランド侵攻から戦争を始めたという事実と食い違いがあると指摘している。
 同決議は22日午後1時に始まる衆院本会議で採択される見通し。


保守派にも存在する「臭いものにはフタ」ともいえる戦前日本を忘れさせようとする行為も問題だが、戦前日本を悪逆非道国家と喧伝する行為は更に問題だ。
戦前日本、大日本帝国は侵略国家ではなかった。日本国内の反日・自虐思想は、周辺反日諸国を付け上がらせただけだった。
戦後の終結には、戦前日本人の美徳だけではなく、大日本帝国に対する再評価も不可欠だ。


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被災者の方々だけではなく、現在、福島原発で働いている人々、そして10万の自衛隊員にも、先人たちの意志が受け継がれている。
献身的で秩序正しく義理堅い行動は、大日本帝国皇軍の軍人そのものだ。


ゲーテは「母国語を理解するには、外国語を理解する必要がある」との言葉を残している。ゲーテは、単純に母国語の文法や発音を理解せよと言っているのではない。外国を通して、母国を再認識せよと訴えていた。
彼の言う通り、海外を知っている日本人ほど、日本を愛し、日本の素晴らしさを理解し、海外を知らない日本人ほど海外を羨み日本の将来を悲観している。


今現在、多くの国々が日本の被災者を受け入れようとしている。未だに日本を嫌悪し日本の将来を悲観している日本人は一度、海外へ出たらどうだろう。
もし、海外へ出る努力も能力も無いのであれば、日本を愛し日本の将来の為に立ち上がるべきだ。それは日本にしがみつくしかない在日朝鮮・韓国人にもいえる。


日本は自身の命を懸けても守るに値する国であり、日本の将来は無限大だ。
悪しき戦後思想、戦後体制を一掃すべき時は、今しか無い。


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「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」より


明治の後半まで、「江戸の時代が懐かしい」とでもいえば、危険思想の持ち主とされたのです。その間、江戸時代に生まれた世代は、次々と変わる世相に憤懣を押し殺しながら、あるいは時代に適応する努力をしながら、その生を終えました。
時代小説、時代劇が作られる頃は、明治生まれの人々の世になっていました。
ところが昭和になると国家政策として武士の精神が鼓舞され、多くの時代劇や時代小説が発表され、三田村鳶魚翁に代表される江戸ブームもありました。しかし、もはや江戸の実情を知る人は皆無となっていました。