日本食の伝播力と、それを阻害するもの

mensch2006-11-28


日本食は今現在、破竹の勢いで世界各国に伝播している。ドイツも例に漏れず、ここ2〜3年で多くの寿司屋が開店している。
そのような中であるが、残念ながら私の住んでいる町では日本人経営の日本料理屋は、減りはすれども増えていない。ここ2〜3年で日本料理店は増大しても、本当の意味での日本料理店は一軒も増えていない。


更に厄介なことに、日本人は賃金が高いためか、ドイツ人経営の店ではアジア系を雇って寿司を握らせ、あたかも日本人が営んでいるように見せかけている。
確かに、日本においてもイタリア料理店の全てがイタリア人経営との訳でもないし、イタリア人が経営していないからといって、イタリア料理の店では無いとの理屈も罷り通らない。だが、少なくとも多くのイタリア料理店は本場と同等かそれ以上の味を提供しているし、イラン人やモロッコ人をイタリア人コックと見せかけて雇うことも無い(この点で、ドイツにおけるアジア人板前は日本で修行していると言う御仁も居るが、実際は短期学校や講座へ行っただけが殆ど。日本から一週間、寿司職人が来て教わったとの事を自慢する人間もいる)。


例えば多少味が落ちても、イタリア料理店との名を冠さないレストランがパスタを出すのは問題ないだろう。ドイツにおける寿司も同じで、ドイツ料理を扱っているレストランで寿司が出て不味くても文句は言えない(最近は、こういった店も確かに存在する)。
ドイツ料理店に対し、日本料理店や寿司屋の味を客の全員が期待している訳でもないし、味が落ちているとの理由も理解している。


しかしながら現状は酷い。ドイツ国内の多くの日本食寿司屋が出す寿司は、本来とは比べ物にならない位に味が落ちている。理由として、寿司屋を経営する多くの人々に共通する概念があげられる。「寿司などは、ネタがあって、米と酢があれば簡単に作れる。」との考えだ。
“ドイツ人好みに味を変えているからだろう”と反論される御仁もいることだろうが、そもそも発酵食品以外において、美味しいという味覚に国境があるのだろうか。


日本料理店より先立って、ドイツ国内に乱立している中華料理店は、良い教訓になる。多くの中華料理店は中国人が経営しているにも拘わらず、味が落ちている。厳密には味が落ちていると言うよりも、味のバリエーションが皆無だ。具は違っても、全て同じ味付けとの事が多々ある。経営する中国人にしてみれば、手間も予算もかからない都合の良い状況だろう。
では客は文句を言わないのか?残念ながら、多くのドイツ人は本場の中華料理を食べたことが無い。故に中華料理は、具だけが違って、味は全て同じ単純な料理だと結論付けられている。


中国人のように、質を下げてまで客に提供する精神を多くの日本人は有していない。だが、このまま外国人が経営する日本料理店が増殖した場合、前述した中華料理の二の舞に為る蓋然性はかなり高い。


多くのドイツ人は、寿司屋へ行く事を一種のステータスと思っている。大枚をはたき、器用にハシを使い、上品に寿司をたしなむ行為により、心の充実感を得ている。少なくとも客側には、老舗高級寿司店に行く嘗ての日本人と同じ心意気がある。だからこそ、日本食に対する思いを台無しにさせかねない外国人経営者側が持つ発想は問題だ。


外国人が考える以上に、寿司は奥が深い。米の選び方、炊き方、冷まし方、酢と砂糖と塩の絶妙なバランス、ネタの鮮度と味さばき方、握り方等々。
日本人であれば簡単に理解できるこれら事項ですら、多くの外国人は理解出来ていない。


日本料理ほど、繊細な感覚が必要とされる料理は無い。悲しいことにドイツ国内は食のバリエーションが貧しく、人々は食に対する拘りも無い。故に、日本食の繊細な味を生み出す土壌は微弱だ。
だからこそ、フランスのJETRO(日本貿易振興機構)と同じく、ドイツにおいても日本食レストランの「お墨付き」制度を早急に導入する必要があるように思える。


「怪しいすし屋にご用心!」、JETROが日本料理店の推奨制度をスタート - フランス(c)AFP/JACQUELINE PIETSCH


O V E R D O P E:本当の日本料理店の見分け方