映画“300”のスパルタ人とペルシャ人

mensch2007-04-16


映画は好きで良く観るが最近は安直なものが多く、突っ込みを入れるのがほぼ日課になっている。今回は、その中でも稀に見るトンでも映画“300(ドイツタイトルは、そのまんまドライフンダート)”を観たので、紹介してみたい(日本未上映の意義も含めて)


前もって言いたいが、これは女性が観るべきではない。かなり凄惨なシーンが多いので、気分が悪くなること受けあいだ。役者のファンか、男性の肉体美を堪能したいのであれば、話は別だが・・・。そして、歴史好きな人は歴史物として観てはならない。兎に角、歴史考証がデタラメだ。だが、イラン人は見るべきだ。これはイラン人、そしてアジア人にとって屈辱的な映画なのだから。それ以外では、男性が好きな男性諸氏にもお勧めだ。


※以下、ネタバレ必死なので、この映画を観たい方は覚悟の程を。


映画の舞台は紀元前5世紀のペルシア戦争。スパルタ王レオニダスが主人公で、彼はパンツ一丁に兜と槍と盾だけの筋骨隆々な精鋭300人を連れ立ち、テルモピレー峠の戦いでアケメネス朝ペルシア帝国の数百万にも及ぶ大軍と無謀果敢に戦い散ってく・・・。途中、スパルタでペルシア内通者が出たりとの紆余曲折はあるが、大筋だけは史実どおりだ。


たかが娯楽映画だが、「歴史はこうして作られる」を地で行っており、「で、映画監督はいくらアメリカ政府から金を貰っているのか?原作者は、欧米至上主義者かアジア差別主義者か?」と言いたくなるような映画だ。
ちなみに原作はアメコミで、原作者はバットマンも描いたフランク・ミラー。映画は原作に忠実だが、欧米文化に多大な影響を与えたペルシア文化に対してさえ、この程度の歴史認識従軍慰安婦問題も然りだが、極東アジア歴史認識などアメリカ人には到底、理解不能に思える。
天上天下唯我独尊のアホでマヌケなアメリが、ポップコーンとコーラ片手に、ペルシアの「」の字も知らずに見るには適しているが、歴史ものとして観るとしっぺ返しを食らう。トンでも歴史映画は“グラディエーター”も同じだが、あれは、それなりに当時の文化風俗を再現している。だが、この映画は神々しいまでに、その根本的な部分を捨て去っている。この点では、捏造を繰り返す韓国の歴史映画にも通じる清々しさがある。


では、肝心の突っ込み処とは?
まずは登場人物や衣装だが、原作がコミックだから仕方が無いが滅茶苦茶。ここまで歴史考証を捨て去ると、逆に潔いものがある。それは、以下の映像だけで充分理解できる。



左がスパルタ王レオニダス。右がペルシア王クセルクセスだが、ゲーム“ストリートファイター”のダルシムではない。クセルクセス王は、いつからインド人ヨガ修行僧になったのか?これは歴史の新たな発見だ。


参考に、ダルシムも紹介したい。


ダルシム


以下は、遺跡に残るペルシア王クセルクセスの肖像。映画のスパルタ王レオニダスに似ているが、張り間違えた訳では無いのであしからず。


ペルシア王クセルクセス
・・・・とてもダルシムには思えない。


そして、超巨大な神輿に仁王立ちするクセルクセス王。ちなみに、北斗の拳実写版ではない。この超巨大神輿、科学的に考えて紙の張りぼてでもなければ人間が持ち上げられる大きさではない。紙の張りぼてを、此処まで立派に作る古代ペルシアの技術力は恐るべきものがある。


映画



原作
原作よりも更にスケールアップしている・・・。


次はペルシア精鋭部隊。・・・侍の面?動きも忍者を髣髴させる。侍や忍者の原点はペルシアにあった。ペルシアであっても日本であっても同じアジアとの事だろう。この際、日本とペルシアの距離的な問題は関係無い。大アジア万歳。



登場人物の滅茶苦茶さ加減は、奇形の猫背男、鎖につながれた超人ハルク紛いの大男、手がサーベルになっている奇形巨漢男、怪物顔を仮面で隠すペルシア精鋭部隊等、数え上げたら切が無い。ペルシア史に詳しくない自分が見てもこの有様だ。仮に詳しい人が見たなら憤りを超えて極上喜劇になる。


ペルシア側役者に、当時としては少数派であったアラブ人や南部アフリカ人を役者に活用するのも良い、ギリシア側役者に有り得ない金髪碧眼のゲルマン系を活用するも良い。だが、そもそもペルシア人はアラブ人ではなく、アーリア人だ。現在は移民や混血も増えたが、ペルシア戦争時でのギリシア人とペルシア人の人種的相違は殆ど無い。むしろ、当時においてはペルシア人の方がゲルマン的な外見をしていただろう。この映画は、同じコーカソイド人種にも関わらず宗教だけで人種区分をする欧米人の高慢さの真骨頂といえる。


登場人物だけでもペルシアは徹底的に異質に野蛮に描かれているが、ペルシア王の野営地天幕も例に漏れずソドムかゴモラの町の様な堕落振りだ。対するスパルタは、洗練された都市として描かれている。映画“アレキサンダー”は野蛮と言われていたバビロンの壮大豪華な都を見て改心する筋書きだったが、この映画は救いようが無い。
舞台になった戦場の地理的な意味合いも相まって、野蛮な専制的アジアの侵略を防いだ欧州の民主的英雄との意味合いが至る所に散りばめられており、登場人物もそれを公言してはばからない。善悪二源論のアメコミだから仕方の無いことか・・・。


映画の最後は、レオニダス王の死であがなった攻防に感銘を受けたギリシア人が、一致団結してペルシアに挑むシーンで終わるが、史実は違う。実際にはレオ二ダス王の敗戦によって、ペルシアは更に勢いを増し、各ポリスがペルシアに傾きアテナイは陥落した。ギリシアが一致団結するのはアテナイ亡国の将テミストクレスに負う部分が大きい。彼によるサラミスの海戦における勝利が形勢を逆転させた。


結論としては、ファンタジーとしては独特の優雅な映像美も相まって100点満点歴史物としては落第点か。
まぁ最初から歴史物として観ず他愛も無いアメコミとして観れば良いのだが、どうにもイラン進攻正当化関連の政治臭や欧米至上主義が垣間見えて嫌な映画だった。数でモノを言う古代ペルシャは現代アメリカに通じる部分があるが、鑑賞者はそこまでは見ない。
監督さん、次の題材は“ベルセルク”あたりで如何でしょうか?


※関連リンク
◆イラン:「ペルシャは野蛮」ハリウッド映画「300」に大反発 毎日新聞 2007年3月23日◆


◆映画「300」はアメリカのイランへの陰謀:スペインとオーストラリアの2紙が批判 2007年04月05日付 Iran紙◆

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◆ハリウッド実写版「北斗の拳」がDVD化◆


歴史を体感したいのなら、1962年に上映されたTHE 300 SPARTANS(スパルタ総攻撃)がお勧め